一見、荒唐無稽に思われるかもしれないが、10年後はわからない。経済的には、さまざまな国や地域の間で自由貿易協定がさらに複雑に結ばれて、英国とEUの関係はそれに近い形になっているかもしれない。その意味では、合意なき離脱で起こることを、必要以上に深刻に考える必要はないのかもしれないのだ。1つだけ言えることは、明日のマーケットの予想はできるかもしれないが、10年後に、誰が得をし、誰が損をしているかは、予想できないということだ。

「合意なき離脱」は
誰も望まないことがわかってきた

 英国のEU離脱を巡るカオスとしかいいようのない状況から、「民主主義の限界」を指摘する意見は多い。国民の分断、左と右のポピュリズムの台頭による、既存の政党政治の崩壊と、英国のみならず、世界中で民主主義が危機に瀕しているようだ。代わりに、国民を1つにして素早く決断して実行できる権威主義的な国のほうが、優れているという考えが広がりつつあるように思う。

 しかし、私には民主主義はいまだに、権威主義的な体制に比べ、圧倒的に優位性を示していると考えている。多くの人が批判する、カオスとしかいいようのない状況にこそ、民主主義の「凄み」があるからだ(第198回)。逆にいえば、その「凄み」は、英国民のみならず、世界中の人々が「英国がカオスであることを知っている」という、シンプルな事実に示されている。

 例えば、EU離脱の是非を問う「国民投票」時に離脱派が主張した「EUへの拠出金を国民医療サービス(NHS)の財源にできる」などがウソであったことや、離脱すればEUからの移民制限ができる一方で、「自由貿易」は維持できるという英国に都合のいい話が、EUから強烈に拒否されたことや、出口が見えないアイルランド国境管理問題など、いかにEUから離脱することが難しいことなのか、世界中の人々が一部始終を見てきた。

 また、英国内の「政局」のゴタゴタまで、世界中の人々がすべて見ることができているのだ。そして、2回否決されたメイ首相の離脱協定案だが、議会内は単なる「反対多数」ではないことも、世界中に知られている。

 保守党内では、離脱強硬派が「首相の離脱協定案」では、いつまでも離脱できず、ダラダラとEUにとどまり続けることになる」というが、残留派は「首相の離脱協定案ならば、EU残留と変わらないではないか。それならば国民再投票して残留を決めたらいい」という。労働党は、政権奪還のチャンスとみて、「国民再投票をすべきだ」と主張し始めている。