たった一度の国民投票を絶対視して
異論を許さないならば「国民権威主義」だ
3月29日までに、メイ首相は離脱協定案の3度目の採決に臨む。可決されれば、5月22日までに「合意のあるEU離脱」ができる。しかし、否決される可能性が高く、そもそも、採決自体できない可能性がある。この場合、「離脱を長く先延ばしする」か、「合意なき離脱」に突き進むかの大きく二つの選択肢が出てくる。
おそらく、離脱強硬派も含めて誰も望まない「合意なき離脱」に突き進むことはない。「離脱先延ばし」の場合、離脱方針を一から見直すことになる。「解散総選挙」や「国民再投票」、「離脱の取りやめ」などが考えられる。だが、メイ首相はこれらをすべて否定してきた。「EU離脱を止めることは民主主義の破壊になる」と主張してきたのだ。しかし、メイ首相はその考えをあらためるべきではないだろうか。
何度でも強調するが、民主主義とは、「国民が間違いを直すことができるもの」だからだ。前回の国民投票で、「よく理解せずに投票していた」という国民が再投票を求めるならば、それに応えることは「民主主義の破壊」ではない。
実際、民主主義国家では、政権が間違った政策を行った場合は、総選挙を通じて政権を交代させてきた。直接民主制の国民投票と間接民主制の総選挙は違うというかもしれない。だが、間接であれ直接であれ、「間違い」に気づけば、前回と異なる投票ができることは、民主主義における国民の正当な権利である。そして、英国は「政権交代ある民主主義」の総本山ではないか(第115回)。
たった一度の国民投票の結果を、「間違い」があると明らかになっても絶対に死守せねばならないならば、それは「民主主義」ではない。国民の判断の正当性を守るために、都合の悪い事実を隠したり、捻じ曲げたりせねばならなくなるからだ。実際、メイ首相は「私の離脱協定案以外に選択肢はない」と言い続けているが、それは本当なのか。選択肢はさまざまにあるが、異論を一方的に切り捨てているのではないか。首相が死守しているものは、民主主義ではなく、国民が決めたことを「権威」として絶対視し異論を許さない、いわば「国民権威主義」とでもいうべきものではないだろうか。
繰り返すが、私はメイ首相の離脱協定案のほうが、シンプルなEU残留よりもベターだと考えている。英議会がメイ首相案で合意できるならば、そのほうがいい。だが、そうでなくても、総選挙か国民再投票を実施して、英国が「民主主義の凄み」を見せる機会はまだ残されている。
(立命館大学政策科学部教授 上久保誠人)