新幹線開業が
食堂車消滅の契機だった

 鉄道と食の関係は切っても切り離せない。歴史を振り返れば、ホームから窓越しに売る「駅弁」が登場したのは1880年代といわれている。当初はおにぎりとたくわんを包んだ程度のものだったが、やがて土地の名産品や季節の品を入れた幕の内弁当が主流になる。

 大正時代に入ると庶民向けの食堂車が設定され、ビーフステーキ、チキンカツレツ、カレーライスなどが人気だった。価格はコーヒー1杯10銭の時代に約50銭。ちなみに駅弁は上弁当が40銭、並弁当が20銭だった。コーヒー1杯500円に換算すれば、決して安くはない。せっかくだからと、普段食べられない洋食を注文していたのだろう。そういう意味では、大正時代に駅弁や食堂車の位置づけ、価格帯は確立していたのである。

 大きな違いは、食中毒などの衛生問題を防ぐために、調理・販売・消費を短いサイクルで済ませなければならなかったことだ。そのため、利用者が増えると販売がボトルネックになってしまう。そこで1930年代になって、食堂車がない、または混雑する列車や、途中駅の停車時間が短くて弁当を買えない列車の車内で、途中駅で積み込んだ駅弁や、食堂車で調理した弁当の販売が始まった。

 鉄道と食の関係は、1964(昭和39)年の東海道新幹線の開業によって大きく変わる。高速化によって列車の乗車時間が短くなり、在来線特急・急行列車も新幹線との接続を前提に再編されると、車内で食事をする必要は薄れていく。またこの頃、外食産業が発展して飲食店が増加したほか、食品保存・加工技術の発展により食品の持ち歩きが容易になり、食事のスタイルは多様化していく。

 食堂車に代わって「ビュフェ」や「カフェテリア」を設置して、軽食やお土産をカウンター販売する試みもあったが、私鉄の観光向け特急列車を除いて、新幹線や在来線特急からは姿を消していった。営業開始当初は物珍しさもあってお客がやってくるが、16両編成で全長400メートルにもなる新幹線の揺れる車内を、歩いて買い物に行くのは不便でしかなく、すぐに客足は減ってしまったからだ。