A.R.ホックシールド 著
(岩波書店/2900円)
なぜ、米国の貧しい白人労働者は大きな政府のリベラル派ではなく、小さな政府の保守派を支持するのか。
本書は、リベラル派の総本山、米カリフォルニア大学のバークレー校で研究する著名な社会学者が、保守派の牙城である南部のルイジアナ州の小さな町に乗り込み、5年間にわたる丹念な聞き取り調査を重ねたルポルタージュだ。2016年に出た原著は、米トランプ大統領誕生の背景を知るための一冊として、大変話題になった。
その町で暮らすのは、多くが没落する保守派の白人層で、熱心なキリスト教徒でもある。町は全米有数の化学工業地帯にあり、環境被害も深刻で、がんの発生率も高い。廃棄物を埋めるための無謀な発掘で地盤沈下も発生する。それにもかかわらず、連邦政府の環境規制に強く反対し、規制緩和を求めるティーパーティを支持する。
著者は、地元に工場を誘致するために企業に有利な条件を受け入れるという背景があると考えたが、経済的な利益だけではなかった。人々と深く付き合う間に、ディープストーリー、つまり人々が「心で感じる物語」の存在を見いだす。それは、次のようなものだ。
人々は、山頂にアメリカンドリームがあると信じ、長い列に辛抱強く並ぶ。健康を害し、長時間労働に耐え、家族や教会で助け合うものの、行列はなかなか前に進まない。よく見ると、連邦政府が黒人や女性、移民を優遇し、列に割り込ませる。さらに、環境汚染で被害を受けた動植物まで割り込む始末だ。公平であるべきオバマ前大統領も割り込みを手伝う。そもそもシングルマザーの家庭出身で、米ハーバード大学ロースクールを卒業というピカイチの経歴には、何か不正があるのではないのか。
今日は、マイノリティがアイデンティティを語る時代だが、白人男性が語れば、人種差別と批判されかねない。彼らは、自国に居ながら異邦人のように感じていたのだ。しかし、自らを犠牲者と認められず、「かわいそうな私にはなりたくない」。だから、政府に助けを求めず、小さな政府を訴える。
もっとも、リベラル派にもディープストーリーは存在するという。わずか1%の富裕層が政治を金で買い、福祉政策を骨抜きにし、学校や図書館などの大切な公共空間を破壊する。リベラル派も保守派と同様、苦しい生活を強いられるが、両者の共感を阻む壁(断絶)を乗り越えるのは容易ではない。
米国では16年に、右派でポピュリストの大統領が誕生した。20年の大統領選挙では、民主党は左派のポピュリストを候補に担ぎ、断絶はますます広がるのだろうか。
(選・評/BNPパリバ証券経済調査本部長 河野龍太郎)