なお、神話時代や年代があやふやな天皇を除き、最も高齢で即位したのは、49代光仁(こうにん)天皇である。40代天武(てんむ)天皇の孫であり、平安遷都を行った50代桓武(かんむ)天皇の父親である。62歳で即位し、73歳で在位のまま崩御した。光仁天皇の次に高齢で在位中に崩御したのは斉明天皇の68歳である。

 また、即位した中で最も高齢まで生きたのは124代昭和(しょうわ)天皇だが、譲位しているものの108代後水尾(ごみずのお)天皇が85歳まで生きている。そしてその子の112代霊元(れいげん)天皇も79歳まで生きている。

 こうして、江戸時代までは変化しながらも、それなりの伝統を守ってきた皇室制度は、明治時代に入ると、大きく変貌する。

 幾つかの伝統は無視され、ねじ曲げられた。これは、仏教の影響を徹底的に排除し、富国強兵に天皇を利用するためにプロシアの王制をまねてしまったからだ。

 まずは、10代8人の女性天皇がいたにもかかわらず、皇位継承者を男子に限定した。かつては女性宮家である桂宮も存在していた。もちろん、この場合、宮となれるのは独身女性だけだが、本来ならば、女性皇族も皇位継承権を持つのだから、現在の議論はかなり違ったものになる。

 天皇の即位や崩御とは無関係だった年号を一世一元と定めた。

 57代もの譲位をした天皇がありながら譲位規定を作らず、天皇は在位のまま崩御することとした。

 また、文章化されてはいないが、それまで火葬、土葬の両方が行われてきた葬儀を土葬とし、深草北陵(ふかくさきたのみささぎ)のように納骨堂の天皇陵もあるのに、墳墓形式のものとした。

 主なものだけでもこれだけある。この日本の皇室制度を大きくねじ曲げた皇室典範は、戦後の新憲法制定の際にも、ほぼその内容を踏襲した。

 天皇陛下は火葬とできるだけ小さな墳墓を望まれ、さらに、2016年8月、譲位の意向を示された。

 何よりも皇室の歴史と伝統を重んじられる陛下が、現在の皇室典範に不満を持たれているのは明らかだと私は考える。その全面的な見直しが国民全体に課せられた今後の課題だといえるだろう。

※『週刊ダイヤモンド』2016年9月17日号に掲載された内容を再編集しています。