新幹線通勤ブームのきっかけは東京圏の地価高騰でした。1980年、通勤定期券に自由席特急券を組み合わせて「こだま」に乗れるようになったことが契機となって、バブル期にかけて新幹線通勤が大きく伸びた 写真:読売新聞/アフロ

地価が異常なペースで上がり、サラリーマンが都心に家を持つのが厳しかったバブル期は、新幹線通勤ブームが起きた時代でもあった。結果、新幹線にも起きた「通勤ラッシュ」問題に対処すべく、JR各社は定員を増やすための車両開発に注力していた時代でもある。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)

片道90分以上の人が激増!
バブル期の通勤事情

 平成とは土地に翻弄され続けた時代だった。バブルの最盛期、東京23区の地価の合計はアメリカ合衆国全土のそれを上回っていた。今から振り返ればどう考えてもおかしな話であるが、1987(昭和62)年に安田火災海上保険(当時)がゴッホの「ひまわり」を50億円で落札、1989(平成元)年には三菱地所がニューヨークのロックフェラー・センターを2000億円で、ソニーがコロンビア・ピクチャーズを約5000億円で買収するなど、我が世の春を謳歌した日本経済がこのまま成長すれば、土地需要は高まり続けると信じられていたのである。

 土地バブルを支えたのが、不動産は絶対に値下がりしないという「土地神話」だ。東京都の人口は1955(昭和30)年に約800万人だったが、高度経済成長とともに地方から人口流入が続き、1958(昭和33)年には900万人、1962(昭和37)年には1000万人、1967(昭和42)年には1100万人を突破した。

 住宅地、商業地の土地需要が高まった結果、東京の地価は1955(昭和30)年から1975(昭和50)年まで年率2ケタのパーセンテージで上昇し続け、東京都市圏は拡大を続けたのだ。こうした成功体験から生み出された「神話」が、人々を土地投機に走らせた。

 その結果、東京の住宅地1m2あたりの地価(用途別地価の平均価格)は、1985(昭和60)年の29万7000円から1990(平成2)年には85万9000円と3倍近くになり、首都圏の新築マンション平均価格(不動産経済研究所調べ)も2683万円から6123万円に高騰した。

 住宅地の地価上昇は東京だけにとどまらない。同期間、神奈川県は16万3000円から35万1000円、埼玉県は12万9000円から26万6000円、千葉県は10万8000円から26万8000円と、周辺3県の地価は1985年時点の東京に匹敵する水準まで上昇した。もはや一般的なサラリーマンが東京近郊に住宅を取得することは困難になり、住居は勤務地からどんどん離れていくのであった。

 1991(平成3)年の運輸白書によると、都心3区(千代田区・中央区・港区)への通勤・通学者のうち、所要時間が60分以上の人は1985(昭和60)年から1990(平成2)年の5年間で23万人増加、そのうち所要時間90分以上の遠距離通勤者が8万人を占めている。