佐宗 本書で世に問いかけたかったことの1つが、まさにそれなんです。僕もかつては「ネットではPVを稼げるものが強い」「大勢のコミュニティをつくって、儲けられる者こそが強い」という風潮に、すごくモヤモヤを抱いていました。でも、今は、自分の世界観を突き詰めて表現すれば、一定の市場ができるいい時代です。
ただ、オンリーワンになるためには、機能価値、感性価値という価値軸を超えて、内面の思想や世界観を表現し提起することが必要です。そういう意味では、真善美の世界、哲学、道徳、アートのような思想レベルを具体化する方法論がなければいけない。とくにアートは、自分の内面からスタートし、その美的感覚をもとに共感を生み出すという手法だという意味で、これからの時代により重要になっていくように思います。

知覚を心地よく揺らがせるアートの力

佐宗 世の中的にも、アートへの注目度は高まっていますが、そういう現象に対して、『美術手帖』の編集長としては、どのように捉えていらっしゃるのですか?

岩渕 僕は、アートのいちばんすごい点は、「新しいコンセプト」を「新しい知覚」で表現する点にあると思います。コンセプトと知覚のうち、どちらかが欠けてもいけないと思っていて、その両方が評価された作品こそが、歴史に名を残している。
たとえば、『直感と論理をつなぐ思考法』の章扉で、佐宗さんが引用されているセザンヌなんですが、彼の絵を見ていると、不思議なことに気づかされます。ひと言でいえば、「絵が動いて見える」んですよね。焦点が定まらなかったり、部分ごとにデッサンが狂っているように見えるところもあるんですが、それで視点が動かされて一瞬たりとも同じ絵に見えない。

佐宗 それは面白い話ですね! もう少し詳しく聞かせてください。

岩渕 人間の目は動いていて、ずっと同じところを見ていません。きれいな風景画だとパッと見て「山と川と空だな」と思いますが、セザンヌの絵って、こちらの視点の動きによって、見えるものが瞬間瞬間で変わるんです。だから、知覚上では見るたびに違う絵を見ているような感覚がある。それらの瞬間瞬間の知覚を脳内で一枚の絵として統合する――その経験が気持ちいいんです。

Paul Cézanne - Still Life with a Skull

いわゆる「印象派」の画家は、カメラのように瞬間の映像をとらえているわけではなく、風景や建造物、人物のまさに頭の中で生まれる「印象」を描いています。そのため、鑑賞者の知覚も揺らぐような体験がある。でも、いつも僕たちが風景や人を見るときには、そういうことをしている。「そもそも人がモノを見るとはそういうことなんだ」という事柄そのものを絵にしているわけです。

佐宗 本書でも大きなテーマの1つになっていますが、「知覚」はこれからの時代、とても重要になってくると思います。「感じる」ということは、つねに論理や数字を見ていると、いつのまにか意識できなくなっちゃうんですよね。たいていの場合、大して感じることもしないで、「これはこういうものだろう」とつい頭のなかだけで概念的に処理する頭の使い方になってしまうんです。

岩渕 記号とか象徴を見出そうとするわけですね。

佐宗 そうです。まさにかつての僕がそうでした。目の前のことが全然感じられていない。頭のなかだけで捉えてしまっていたんです。しかし、影や光をそのままじっと見ていると、さまざまな色を感じられるようになりますし、自分の感覚を気持ちよく感じるようになっていくんです。