ブレーキにもアクセルにもなる裏の関心
佐宗 なるほど、すべての関心が表向きに見えているわけではないということですね。西條さんのおっしゃる「表の関心」と「裏の関心」は、そもそもどういう発想から生まれたのでしょう?
西條 僕は2005年に『構造構成主義とは何か 次世代人間科学の原理』(北大路書房)という本を出させていただきました。言ってみれば、これは「学問の本質論」なんです。
しかし、2011年に東日本大震災のあとに立ち上げた被災地支援プロジェクトで「人間の本質とは何か」を考えざるを得なくなったのです。その活動をするなかで、「社会の不条理の9割は組織が生み出している」ということがわかりました。チームや組織は人間で構成されますが、自分の中で「人間」がド真ん中の哲学の対象になったとき、「裏の関心」を扱わないといけないなと感じたんです。
また、半年で英語が話せるプログラムをつくったときにも、同じところで引っかかりました。語学って、「裏の関心」で心理的なブレーキが掛かっている限りはやれないんですよね。つまり「やらないほうがいい理由」がどこかに隠れているうちは、自分をうまくマネジメントできない。
BIOTOPE代表。戦略デザイナー。京都造形芸術大学創造学習センター客員教授 大学院大学至善館准教授東京大学法学部卒。イリノイ工科大学デザイン学科修了。P&G、ソニーなどを経て、共創型イノベーションファーム・BIOTOPEを起業。著書にベストセラーとなった『直感と論理をつなぐ思考法 VISION DRIVEN』(ダイヤモンド社)のほか、『21世紀のビジネスにデザイン思考が必要な理由』(クロスメディア・パブリッシング)がある。
佐宗 僕が語っている「ビジョン思考」は、個人の「内発的な関心」を思考の駆動力にする方法ですが、西條さんはそうした関心、とくに「裏の関心」がブレーキになる可能性を指摘されているのが非常に興味深いですね。
西條 「裏の関心」はブレーキにもアクセルにもなるんです。まず望ましくないのは、アクセルとブレーキを両方踏んでいる状態で、これはエネルギーが無駄に消耗していくだけです。
裏というのは、自分の中で「なかったこと」にしてしまう関心、潜在化していて見えにくい関心という意味です。たとえば「英語を勉強したいのに勉強しない」ということは、表から見ると不合理ですが、裏から見ると合理ですから「よい」ことなります。つまり、よいものになっていればブレーキにもなるし、悪いものになっていればアクセルになるんです。
ですから、前に進みたいときには裏の関心と表の関心を明晰化し、両者を統合することが大切になります。
佐宗 とっても共感します。僕の書籍でも、妄想を持ったときに、妄想と現実とのあいだに、実現したいという動機と同時に、自分自身がその変化を怖がる葛藤があるときは、一度書き出して自分のブレーキを明確にすることを提案しています。やはり「裏の関心」を潜在化したままに放置しておかず、はっきりさせることが必要なのですね。
西條 そう思いますね。さらに、最近気がついたのは、ブレーキとアクセルを両方踏んでいる状態だけではなく、「裏の関心」にとってもよいことだったりすると、裏と表のダブルアクセル状態になってしまうということ。こうなると、ある種の暴走状態になって、働きすぎて身体や心がダメになるといったパターンもありますね。
たとえば「人を助けたい」という「表の関心」の裏側には、「人を助けることによって自分の価値を感じたい」という関心が隠れているかもしれない。そういうときには両者はすごくマッチし、ダブルアクセル状態になってしまう。すると、「裏の関心」が知覚できていない分、「表の関心」だけのときよりもスピードが出すぎてしまって、バーンアウトしてしまうといった可能性もあります。