去るも地獄、残るも地獄

 組合員の退職にあたっては、「個人別闘争積立金」を返金する手続きが必要です。
 私は、その手続きでほぼ全員と面談したのですが、大半の組合員は、「委員長はまだ若いのだから、これからよい会社をつくってください」と私を激励してくれました。

 多くの組合員が最終的には、就職あっせん、再雇用制度、退職金の増額、経営責任の明確化等を条件にして希望退職を受け入れましたが、それでも一部の組合員からは、厳しい言葉を浴びせられました。

「委員長の給料はどこから出ているんだい? 組合費だろう。その組合費を長く支払ってきた俺がなんで会社を辞めなければいけないんだ? 経営をチェックするという組合の方針はどうなったんだ?」

 私に答える言葉はなく、
 ただただ、無言で涙を流すしかありませんでした。

 会社のリストラが成功しても、辞めざるをえなかった社員にとっては、会社が破産して路頭に迷うのと同じではないか……。
 退職金の割り増しをしたところで、償いにはならない……。

「これしか方法はなかった」と自分に言い聞かせても、組合員の雇用が守られなかったのは事実。痛恨の極みでした。

 会社に残った3分の2の社員も、安泰だったわけではありません。
「年収25%減の状態」で働かなくてはならなかったからです。

 去るも地獄なら、残るも地獄でした。
 経営の崩落を受けて、組合員が「去る地獄」と「残る地獄」に直面したあとは、残った組合員とともに会社を再建する長期の取り組みを覚悟しました。

ps.「25の修羅場」の詳細は、第1回連載「倒産寸前から売上3倍、自己資本比率10倍、純資産28倍!「25の修羅場」が「25年連続黒字」をつくった理由」をご覧ください。きっと、私が血反吐を吐きながら、泥水を飲みながらのここまでのプロセスの一端を垣間見れるかと思います。