事前に公表されていた時刻から10分ほど遅れて官房長官の菅義偉が紺色のスーツに明るいブルーのネクタイ姿で現れた。4月1日午前11時40分すぎ。首相官邸1階にある記者会見場は水を打ったように静まり返り、張り詰めた空気が支配していた。その静寂の中を官邸職員が布に覆われた盆を手に菅の後に続いた。布の下には額があり、伏せられたまま菅に手渡された。菅の手元が狂ったのだろうか、額に収められた墨書の一部が記者席から見えた。その直後に静寂を破る菅の声が発せられた。
「新しい元号は令和であります」
その瞬間、会見場には「フー」とため息が漏れた。菅は一度右の肩上に「令和」を高く掲げた後、左右に2度額をカメラに向けた。そして演台の脇のテーブルの上に「令和」を置き、出典が万葉集だったことを明らかにした。
菅の会見が終わると、少し間を置いて首相の安倍晋三が現れ、「令和」を脇にして記者会見に臨んだ。
どちらが歴史に残るワンショットになるかは明白だった。インパクトの強さは菅の会見が圧倒していたからだ。現に「令和」を伝えた2日付の朝刊各紙のうち、安倍の写真で1面を飾ったのは「読売新聞」だけ。あとは「令和」を掲げる菅の写真を大きく掲載した。
「平成」を発表した元首相の小渕恵三が30年余にわたって繰り返しメディアに登場したことを思えば、「令和」を語るとき、菅は小渕同様に「歴史に顔が残る官房長官」になったといっていい。
燻り続ける同日選の
可能性は排除できない
小渕は「平成」の発表から約9年後の1998年、首相の座に上り詰めた。しかし首相在任中に脳梗塞で倒れ、他界する。その小渕が倒れたのがくしくも19年前の2000年4月1日。因縁というほかはない。在任期間の記録を日々更新中の菅が、「令和」の発表で国民の多くが名前も顔も知る政治家になったのではないか。
「令和」に対して国民世論は肯定的に受け止めているようだ。元号発表直後に共同通信が実施した世論調査で「令和」に「好感が持てる」と回答した人は73.3%に達した。やや下降線をたどっていた内閣支持率も52.8%と、前回調査の43.3%から急上昇した。
首相官邸がこれほど注目を集めたのは久しぶりだ。情報管理を徹底させたことで逆に国民の高い関心を集める一大イベントになったことも大きい。「平成」の発表が昭和天皇の崩御に伴う行事の一環だったのとは異なり、「令和」は慶事であったことも政権にプラスに働いた。まさに安倍にとっては「令和特需」が訪れたかのようだ。