「個人会社から株式会社になった」。府知事と市長の大阪ダブル選を制した大阪維新の会代表の松井一郎は親しいメディア関係者にこう語ったという。元大阪市長、橋下徹の発信力と突破力で“創業”した維新が“橋下抜き”で大自民党を敵に回して蹴散らしたからだ。松井は橋下と共に大阪都構想に執念を燃やす。政令指定都市である大阪市を廃止し、現行の24行政区を東京23区と同様の特別区に再編する構想。その実現にはダブル選で全勝しなければならない。
「1勝1敗」はゼロと同じ。そこで松井は大阪市長だった吉村洋文と同時に辞職というイチかバチかの大勝負に出た。
自民党幹事長の二階俊博は松井を激しく非難した。
「いささか思い上がっているのではないか」
かねて大阪自民党の復権を狙っていた二階は、ダブル選を維新つぶしの絶好のチャンスと捉えた。自民党は標的を、大阪府知事を辞職して市長選に立候補した松井に絞った。市長選に勝機ありとみたからだ。大阪市内24区は衆院選では6選挙区に分割されている。このうち3選挙区ずつ自公で分け合う。つまり大阪市内の維新の小選挙区当選者はゼロ。その反映なのか選挙前の情勢調査では「松井苦戦情報」が流れた。
これが選挙戦をヒートアップさせた。“維新憎し”は自民党だけではなかった。公明党、立憲民主党、国民民主党、さらに共産党まで形式こそ違えど、“松井包囲網”を形成した。自民党本部4階にある幹事長室に、二階は政治の師であった元首相、田中角栄の書を収めた額を壁に掛けている。
「総力結集」
田中の言葉を実践するかのように、二階は選挙期間中に3度にわたって大阪入りした。ところが、存亡の機に立った維新は逆に結束を強めた。現場取材を重ねた在阪のジャーナリストによると、維新の街頭演説には30代、40代の子育て世代が集まり、子供を抱きかかえながら熱心に耳を傾けていたという。