松下幸之助

 1981(昭和56年)年1月の年頭のあいさつで、パナソニックの創業者、松下幸之助(1894年11月27日〜1989年4月27日)は「1年ぐらい米国にとどまって、じっくりと米国という国を見てみたい」と語ったという。当時、松下はすでに現役を退き、相談役に就いていた。

 1年という長期滞在はかなわなかったが、その年末、“経営の神様”、5年ぶりとなる米国訪問を果たした。その手記である。

 当時の米国は、70年代から続く高インフレと高失業率による不況にあえいでいた。81年に誕生したロナルド・レーガン政権による、大規模な減税、規制緩和、軍事費拡大などを柱とする経済政策(レーガノミクス)が始まり、その行方に注目が集まっていたが、本記事(82年1月2日号)の掲載時にはまだ、はかばかしい成果は見られていない。

 一方、米国市場では日本の自動車や家電製品がシェアを伸ばし、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉と共に、日本経済が自信を深めていた時期でもある。しかし松下は、「日本はあまり調子に乗らん方がいい」と戒めている。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

5年ぶりの米国
だいぶ、復興してきたな

 今回の米国行きは、私にとっては、ちょうど5年ぶりということになります。

松下幸之助の80年代米国訪問記「日本はおだてられて、調子に乗るな」1982年1月2日号より

 5年前の米国の印象は正直言ってあまり良くなかったのですが、その後の米国も新聞などの報道を見ている限り、依然良くないらしい。自動車は日本車に押されっ放しで、まるで悲鳴を上げているみたいですし、鉄鋼も悪いという。

 一体米国はどうなっているんだろう。実際のところはどうなのか、この目で見てみたいというのが、今度の米国行きの理由ですわ。それと、うちの会社は米国に販売会社や工場を持っていますからね。もちろん、米国人をたくさん雇っているわけで、どんな具合にやっているか、私が直接出掛けて、この目で確かめてみたいのと、皆を激励してやらないかんと思ったわけです。

 ニューヨークに直行の形で乗り込んだのですが、ことニューヨークに関する限りは、思っていたよりもだいぶ良くなっているな、という感じがしましたね。

 5年前に行ったときは、タイムズ・スクエアで車を降りてブラブラ歩いてみようとしたら、ここは危険だからということで散歩もできなかった。が、今度の旅では、タイムズ・スクエアをしばらく歩いて回ったんです。それだけ、この辺の治安も良くなってきたということなんでしょうな。

 街並みの様子も、5年前のときとはだいぶ違うような感じがしました。5年前にはあちこちでやたらとビルディングの取り壊しばかりが目立った。それが今回は、ビルディングの新築がどんどん進んでいるんです。聞いてみると、市長が代わった頃から治安も良くなってきて、一時はニューヨークを離れていた人たちも、最近は次第に街に帰ってきているということでした。だいぶ、復興してきたなというのが、正直な印象です。