1899年、大阪市で「鳥井商店」を開業した鳥井信治郎氏の夢は、日本に洋酒文化を広めることであった。それから120年。ぶどう酒をほそぼそと製造・販売していた小さな商店は、約300のグループ会社を抱えるサントリーホールディングス(HD)に成長し、日本の酒文化を今度は全世界へ発信しようとしている。その陣頭指揮を執るのは、創業家以外で初の社長に就任した新浪剛史氏。グローバル展開の足掛かりとなるのは、2014年に1兆6000億円の巨費を投じて買収した米蒸留酒大手ビーム(現ビームサントリー)だ。(聞き手/ダイヤモンド編集部 重石岳史)
――サントリーを取り巻く経営環境の変化をどのように捉えていますか。
何といっても一番大きいのは、私たちの重要なホームグラウンドである日本における生産年齢人口の減少ですね。
働く人たちが減り、そして高齢化していくということは、ありていに言えば、胃袋が小さくなるわけです。そして誰もが健康な胃袋でありたいと思う。
この変化をどうやってチャンスにしていくかってことなんだけど、胃袋が大きくならないとわれわれ自身、いわゆる規模の経済は取りづらくなりますよね。
そういった意味で市場がシュリンク(縮小)しても、よりプレミアムな商品、差別化された商品をお客さまにご理解いただければ、量はそんなに多くなくても全体の金額を上げることにつながっていく。なので、なお一層クリエーティブに、イノベーティブにならなきゃいかんということです。
一方でそういう統計が出ているからといって「(日本は)駄目なんだ」では全然ないわけです。だから日本から海外へ出ていこうということではない。われわれが海外に行く上で、一番大きな土台になるのが日本なんです。だから日本で常に成長し続けなければいけない。
われわれは、グローバリゼーション=日本と切り離す、とは全く考えておらず、日本で起こしたイノベーションを世界に広げていきたい。
例えば近年、ビームサントリーとの共同開発で、クラフトジン「ROKU」(ロク)やクラフトウオッカ「HAKU」(ハク)、ウイスキーの「碧Ao」(アオ)や「LEGENT」(リージェント)を発売しましたが、これらは全て日本で培った技術をベースにしているわけです。
日本のお客さまからご愛顧を頂ける、味の繊細さや熟練の技術が土台にあって初めてグローバルで勝ち抜けている。バーボンウイスキーにしても、(ビームが元々持っていた)「メーカーズマーク」や「ジムビーム」は、より品質が良くなっている。
それは、われわれが日本のものづくりの技術を持ち込んでいるからなんです。だから日本が絶対的に強くなきゃ駄目なんです。
その意味で「プレミアムモルツ」を中心に、国内ビール市場で勝ち抜く工夫をしなければならない。われわれはビールでは後発組なので他社と同じやり方をしていては駄目で、だからこそプレミアムビールでナンバーワンの地位を築いていったわけです。
われわれは日本の企業ですから、その強みを生かすためにも日本の市場で磨き続けなければいけないと思っているんです。