新聞にせよテレビニュースにせよ、プロフェッショナルな報道は今、大きな転換点にある。新聞は紙媒体からネット記事へ、テレビニュースはネットの動画配信へと発信の場が大きく変わりつつある。

 これまで、情報の伝達はメディアに独占されてきた。個人が広く社会に訴えかけようとしても、その手段がなかった。しかし、ネットが普及した今日は異なる。個人でもさまざまなネット媒体で意見や動画を配信できるようになり、そうした個人の記事を見る読者や視聴者も増えてきた。そうしたときに、アマチュアの情報発信とプロフェッショナルな報道記者との境目はどこにあるのだろうか。

SNS全盛の時代だからこそ
「報道の信頼」がより重要に

 今回の朝鮮日報の記事は、いうならば個人がブログでできる作業だ。ネットで無料配信されているメディアの記事から、都合のいい文章とオリジナル記事の著者の名前だけを引用して切り貼りし、センセーショナルな煽り文句をつけたら、個人発の記事でもそれなりに読まれるだろう。そうしたやり方をメディアが多用するならば、報道のモラルを犯しかねないスレスレの行為である。それを報道と呼ぶなら、プロの記者など不要ではなかろうか。

 今日でもプロフェッショナルな報道記者が社会的な使命として必要とされるのは、彼らの書いた記事の信憑性、信頼性に対する読者の期待を裏切らないことである。SNSなどの個人の情報発信では、確認不足や事実誤認によって、意図しない場合であっても誤った情報が流れてしまうこともある。しかし、それは報道記者にとって許されることではない。

 筆者はメディアの記者ではないが、プロの記者の役割を定義するならば、しっかり事実関係の確認の労を惜しまず、情報の真贋を見極め、社会で起きていることの複雑な因果関係を簡潔に、かつ正確に編集し、世の中に発信していくことが、プロの報道記者の仕事であり、その点が誰でも情報発信できる現代において、プロがプロたる所以ではないかと思う。それを心得ないと、「だから新聞は信用できない」などと、既存メディアがひとくくりで見放される大きなリスクがあることを、理解する必要がある。

 一方で、読み手の意識も重要となる。韓国の反応が気に入らない。だから少しでも韓国側の事情を理解しようとする行為は反日である。韓国は全否定しなければならない――。そういった極端で過激なコメントがネットに散見されている日本の事態も、憂慮すべきである。

 今回は韓国の一メディアに対する提言が中心となったが、日韓問題のような重要なテーマについては、日本のメディアにも綿密な取材と正確な報道を求めたい。足もとの日韓対立に際して、この度は、報道の在り方についても深く考えさせられる機会となった。

 こんなことを書くと、再び「早大教授、日本メディアを批判」などと報道されるのであろうか――。

(早稲田大学大学院経営管理研究科教授 長内 厚)