死に方は選べない。生き方は選べる

大津:医療者などと一緒に考えて、共有しておくことが大事だと思いますから、自分の思いを口に出してみることです。
「がむしゃらに治療してきたけどこれでいいのかな」と聞いてみるとか。
 たとえば、「頑張って治療してきたけれど、家族もいないし、このまま治療していていいのかな、意味があるのかな」と、ぽろっとこぼした方がいました。その方に私は、「私も同じ立場だったらそう思うかもしれません。でも、日々何か楽しいことなどはないですか?」と聞いてみました。
 すると、「そうはいっても、友達には恵まれているから、友達と会っている時は楽しいかな」と口にしたので、「では、友達とまた会ってみたり、そういう機会を増やすことをしてみたらどうですか?」と言ってみたんです。そして、その方は次に来られた時に、「少し楽しくなってきたみたいだ」と言ってくれました。
 治療を頑張らないといけないというところにフォーカスしていると、人生の楽しみを見失ってしまうこともあるので、そういうことを一緒に考えることも大事かなと思います。

後閑:縁起が悪いなんて言って避けるのではなく、会った時に家族で話し合ってほしいですね。

大津:それこそ後閑さんの本『後悔しない死の迎え方』を渡して、「これいい本だったよ」と、話をするきっかけにすることもできます。私の本の読者にも、それでうまくいったと言っていた方がいました。盆暮れ正月などに会う機会に話し合っておいてほしいですね。

後閑:結果重視でなくプロセス重視。
 ある意味、死というものは結果なわけですが、それだけに目を向けるのではなく、それまでどう生きるかというプロセスのほうをもっと話し合ってほしいですね。
 患者さん自身は、おそらく死ぬ直前まで自分がもう死ぬなんて思っていないこともあるのではないでしょうか。でも、楽しいことがあったり、穏やかな感情で過ごせたりする日常を最期まで過ごしてほしいなと思っています。
 おそらく最期は、つらい症状が出たり、動けなくなったり、できないことが増えたり、今までにない非日常的なことが起こるのでしょうが、しかし患者さんは日常を生きているのですから、患者さんにとっての日常を大事にしてほしいなと思います。
 そのために、自分は何を楽しいと思うのか、何をしたいのかということを考えたり、話し合ったりしてほしいです。

大津:幸福の総量の面で生き方を見直したり、逆に余命が短かったら何に後悔するのかを考えて、それをあぶり出していって死というものを考えることが、そのプロセスをよくすることにつながります。
 ですから、いいプロセスを歩めるように日々考え、その考えを共有していただきたいです。

後閑:死に方はいっぱいあります。それは選べるものではないし、どんな死でも常識にとらわれず、そういう死もあるということにすぎません。
 でも、それまでの生き方は選べるのですから、結果だけを見て、「残念な人生だ」ではなく、プロセスを重視してほしいです。

大津:10代、20代で亡くなる方も何人も診てきましたが、すごく濃密な人生を生きているんですよね。
 はたから見れば、短くてかわいそうだと思うかもしれないし、何も知らない人はそう言うでしょう。ですが、本当に濃密な人生を過ごして、「俺、いい人生だったよ」と言って亡くなられていった方もいます。時間ではないんですよね。
 とにかく、誤った健康情報に先に吸い込まれてしまうと、本当に命を縮めてしまう可能性があるので、ぜひ『1分でも長生きする健康術』を最初に読んでいただいて、そこからはこれを基本として新しい情報を得ていただきたいと思います。
 そうは言っても、いくら健康に気を使っていても、誰しもいつかは死を迎えることになりますから、家族やまわりの親しい人に折に触れ、自分はどういうふうに生きたいとか、いざという時にはどうしたいという話をしておいてほしいです。
 先ほどもお話ししましたが、「ほどほど」というのが結構大事なもので、かなり頑張り過ぎてしまう人も多いです。また、自己肯定感が大事なので、自分を責める必要はなく、自分を許しながら、うまく長く維持できるような健康を見つけていただければいいなと思います。

まとめ
(1)日本人はおおむね正しい方向に歩んできたから、いまのまま「ほどよく」健康に気を使うのでよい
(2)長くバランスをとるために「今のQOLを下げる」必要もあり、医療者と治療の目的を共有すること。
(3)健康を気にしていてもいずれ死は訪れる