アジア人で初めての
ヒューゴー賞を獲得

 ヒットの直接的な背景として、前評判が極めて高かったことがある。

 『三体』が中国で発表されたのは2006年。このときも現地のSFファンの間で評判にはなったが、本格的な注目を集めたのは2015年のことだ。SF文壇における最高の栄誉とされる米ヒューゴー賞(長編部門)を受賞したのだ。アジア人が同賞を受けるのは初めて。そもそも中国のSF長編小説が米国で翻訳出版されたこと自体が史上初だった。この彗星のような受賞によって、世界的な『三体』ブームが巻き起こっていた。

 『三体』は全3部作(日本発売されたのは第1部)で、シリーズ累計の販売部数は世界2100万部に上る。フェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグ氏やバラク・オバマ前米大統領、映画監督のジェームズ・キャメロンといった米国の著名人が絶賛したことも人気に拍車をかけている。こういった海外での高評価が聞こえる中、満を持しての発売となったことが日本でのヒットにつながった。

 注目すべきは、読後の評価も高いことだ。通販サイト・アマゾンで本作について書き込まれたレビュー63件のうち、65%が満点評価を下している。総合評価としても星4.3に達している。

 SF作家で劉氏とも交流のある藤井太洋氏は『三体』の魅力について、「『三体』はハードSFとしての面白さだけではなく、多層的に読み込めるのが魅力。劇中劇で登場するオンラインゲームは極めて不安定な世界を表現しており、中国人の伝統的な社会観、歴史観を感じさせる。さらに物語全体としては、科学の力に真正面から向き合おうとする現代中国人の姿勢もにじみ出ている」と話している。

爆進する中国の
「未来感」に触れられる

 中国という国の位置づけは、この10年で劇的に変わった。中国企業が主要顧客という日本のメーカーは多いし、中国発のサービスを日本に逆輸入するベンチャー企業も増えている。米国と覇権を争うまでになった中国について、もっと深く理解したいという動機が、これまでSFに手を伸ばさなかったビジネス層をまで購読に動かしているのだろう。

『三体』著者の劉慈欣氏。Photo by Dan Sandoval

 記者は7月下旬、著者の劉氏を中国山西省の自宅に訪ね、2時間にわたる独占ロングインタビューを行っている(『三体』の劉慈欣が語る「中国の圧倒的未来感に触れたか」)。

 劉氏はインタビューの中で、『三体』の海外人気の理由は「自分には分からない」と答えた一方、国内については「中国社会に広がる強烈な『未来感』が、SFを読む土壌となっている」と語った。急速な経済発展を受け、人々の生活にも日々何らかの変化が起こる中、「これまでとは異なる未来が自分を待っているという感覚が、未来を描くSFの人気に繋がっている」という考え方だ。

 さらに世界的SF作家の地位に押し上げられた自身についても、「もし中国に経済発展が起こらなかったら、私はきっと炭鉱作業員だった。大学に行くこともなく、石炭を掘っていたはずだ。私という存在は時代の産物なのだと思う」と語っている。

 アジア人発のヒューゴー賞獲得については、「現地にケン・リュウ氏という一流のSF作家であり、中英翻訳もできる稀有な人物がいて、私の作品を紹介してくれたから。中国SF以前に、日本のSF小説の黄金期があり、本来なら小松左京氏などが先にヒューゴー賞を獲得してもおかしくなかった。私と小松氏の違いは、リュウ氏のような『紹介者』がいたかいなかったかだけだ」と控えめに述べている。

 『三体』は大森望氏らによる翻訳の水準が高く、海外ものと意識することなく、スムーズに読むことができる。長編ハードカバーという物理的なボリュームに気後れする人も少なくないだろうが、「中国の圧倒的な未来感」を求めて、夏の終わりに読んでみる価値はある。