天安門事件を機に共産党の独裁が強まり、
「香港の自由」は風前の灯に

 実際、1980年代には「中国のゴルバチョフ」と呼ばれた改革派の胡耀邦が共産党総書記となりました。胡耀邦は学生の政府批判を容認し、自由化に舵を切りました。当時の中国は、今では想像を絶するくらい自由だったのです。

 鄧小平が香港返還を求めた時、イギリスのサッチャー首相が応じたのはこのような時代背景があったからです。香港を自由主義体制のままで中国に呑み込ませて、中国内部での民主化を促進する。だから「返還後50年間は自由主義体制を維持する」という一国二制度を香港返還の条件とする香港返還協定に調印し(1984年)、1997年の香港返還と「一国二制度」を定めたのです。

 その5年後の1989年4月に改革派の胡耀邦総書記が亡くなると、彼を追悼する学生・市民が天安門広場を埋め尽くし、改革の継続を訴えました。共産党最高実力者の鄧小平は共産党体制の瓦解を恐れ、人民解放軍に制圧を命令しました。これが6月4日の天安門事件です。

 西側諸国の思惑とは反対に共産党独裁が強まる中、「香港の自由」は風前の灯になりました。英領香港の最後の総督となったクリス・パッテンは、民選議会(立法会)の設立を認めるなど抵抗を試みます。1997年にパッテン総督が去り、人民解放軍が香港に進駐しました。当時の香港市民は、「今の経済的繁栄が続けばそれでよい」と中国本土への復帰を素直に喜び、50年後のことには無関心でした。

「香港の自治」を取り戻すため
市民は再度立ち上がった

 それから20年。共産党政権は形式上、イギリスとの協定を順守して「一国二制度」を維持しています。しかしその実態は、真綿で首を絞めるように香港の自治権に制限を加えてきたのです。

 香港特別行政区の知事に当たる「行政長官」は誰が選ぶのでしょうか?

 それは香港市民の選挙によってではありません。中国共産党が指名する「選挙委員会」が選ぶのです。現在の行政長官の林鄭月娥(キャリー・ラム)はこうして選ばれました。人事権を握っているのは中国共産党ですから、彼女は北京の意向に従って行動します。「行政長官を香港市民に選ばせろ!」という運動が2014年の雨傘運動でした。警察の催涙弾から身を守るため、学生たちが雨傘を盾にしたのです。

 香港の議会に当たる「立法会」の議員は誰が選ぶのでしょうか?

 半分は香港市民の直接選挙で選びますが、残りの半分は「職能団体代表」です。多くは経済界の代表であり、中国本土に多額の投資を行っている人たちです。彼らは実利のために中国共産党に従います。

 つまり、「香港の自治」とは絵に描いた餅であり、まやかしです。香港警察が逮捕した人間を中国本土に引き渡せるようにする「逃亡犯条例」は、この立法会で可決されようとしたのです。これを阻止しようと香港市民が立ち上がったのが、今回の大規模デモなのです。