警察官による衝動的な
発砲とは思えない理由

 発砲は、現場にいた警察官の個人的判断や衝動でなされたのだろうか。

 私は現段階でそれを裏付ける物的証拠や関係者の証言を持ち合わせていないが、その可能性は限りなく低いと推察できる。

 天安門事件から30年がたった。この期間、軍人や警察が一般市民に対して拳銃を向けること、引き金を引くこと、その結果、流血と死者をうつした写真や映像が全世界に知れ渡ること、言い換えれば、「第2の天安門事件」が発生することは、中国共産党がこの期間で最も警戒してきたことのひとつであった。

 香港は北京ではない。1997年の香港返還以来採用されてきた「一国二制度」の下、中国共産党の統率力は直接的に及ばない(習近平政権が発足して以来、間接的支配や浸透は着実に高まっており、それが香港市民を不安にさせている)。言論・報道・結社・出版などを含めた政治的統制や抑圧の度合いが過去30年で最大級まで高まっている北京とは異なり、香港には「限られた自由」が存在するし、制度的に一定程度保証されている。香港現地の新聞やテレビは抗議デモの現場をリアルタイムで取材・報道しているし、市民からの「五大訴求」((1)「逃亡犯条例」改正の完全撤廃(2)独立調査委員会の設立と警察による暴行責任の追及(3)抗議者への監視や検問の停止と撤回(4) 6月12日に行われた集会を「暴動」と位置づけたことの撤回(5)林鄭月娥行政長官の辞任と普通選挙の実現)に一向に応えようとしない林鄭月娥行政長官率いる香港政府への批判を含めた、チェックバランス機能を果たそうと奔走している。

 欧米や日本を含めた外国メディアも香港発で世界中に向けて記事や映像を配信している。しかも、30年前と比べて、中国の国際的影響力は格段に上がっている。能力には責任が伴う。仮に今、香港で「第二の天安門事件」が発生すれば、その後遺症や副作用は30年前とは比べ物にならないくらい大きなものとなるに違いない。国際社会が中国という存在をどう定義づけるか、言い換えれば、私たちが中国とどう向き合い、付き合っていくかという問題が再定義されることは必至であろう。

 だからこそ、中国共産党は人民解放軍の香港への「軍事介入」という政治的決断には慎重になるだろうし、できる限り香港警察によって事態を沈静化させたいと考えているだろう。そして中国共産党指導部は、香港警察に拳銃を発砲させることにも極力慎重になってきた。そんな中央政府の政治的意志と指示系統を林鄭月娥、そして香港警察も明確に理解した上で日々の業務に当たってきたに違いない。この文脈で考えると、筆者には、いくら抗議者との衝突が激化したからといって、現場の警官が衝動に駆られて発砲したとは到底思えない。現に、その直後に他の警官が拳銃を市民や記者に向けて「威嚇」している。異なる場面を想定した上で、計画的に取った行動だと推察するのが妥当であろう。