小さな不祥事がなぜ
年金全体の不信につながるのか

 公的年金には抜きがたい不信感が存在している。それは公的年金という巨大な制度の周りにさまざまな不祥事が存在したからだ。しかしながら、関わる人がたくさんいて、多くのお金が集まれば、何らかの不祥事が起こり得るのは人間の社会では当然のことであり、それが制度の屋台骨を揺るがすようなものでなければ大事に至ることはない。

 例えば、2000年代の初めにかけて起こったグリーンピア(大規模年金保養施設)の問題があった。1985年から資金を投入して13もの施設を作ったものの、結局は採算が合わないまま、2005年までに全て売却された。その損失はおよそ2000億円であったとされる。この時も大々的にマスコミで取り上げられ、ずさんな運営や無計画な投資が批判されたことがあった。もちろんこれは決して許されることではない。金額も2000億円という巨額なものであり、民間企業であれば株主から訴訟を受けてもおかしくない案件だ。

 ただ、2000億円の損失を出したからと言って、年金が破綻するとか、持続性に疑問があるということではない。当時、年金積立金は132兆4000億円あったが、このうち2000億円の損をしたにすぎないからだ。

 身近な例に言い換えると、132万円あまりの貯金を持っている人がパチンコで2000円をすってしまったというのと同じだ。実に無駄なお金の使い方をしたものだと怒られるのは当然だが、だからと言って家計が破綻するわけではない。これは言わばガバナンスの問題であり、財政の構造的な問題というわけではないのだ。年金にまつわる不正使用等の事件が起きる都度、同様の批判が起きるが、それらは一部の罪を犯した人間を厳正に処罰すればよい話であって、そのこと自体と年金の制度に対する不安が直結するものではない。

 ところが人間の心理とは理屈で割り切れるものではない。そのような不祥事が起きると、全体に対する不信感が生じてしまうのだ。

 ある特定の事象が全体にわたって起こるように勘違いすることを「代表性ヒューリスティック」と言う。公的年金の場合で言えば、前述のグリーンピア事件をはじめ、加入記録問題や不正使用等の不祥事が起きる都度、それが年金のガバナンスのみならず、財政全体に対する不信感につながっている。もちろんこうしたガバナンスを是正することが重要であることは言うまでもないが、年金財政の問題とは分けて冷静に考えるべきだろう。