地下鉄免許を国が没収!
「営団」と「都営」の由来とは

 とはいえ、東京高速鉄道側からしてみれば東京市の都合のいい存在で終わるつもりは毛頭なかった。

 東京市は東京高速鉄道との免許譲渡契約で、将来的に建設した地下鉄を無償で譲渡すること、東京地下鉄道と合併することを条件とした。この条件は地下鉄網が最終的に東京市営地下鉄として統合される計画に従ったものだったが、東京高速鉄道はこれを逆手にとり、東京地下鉄道と合併して東京の地下鉄事業を一手に収めようと考えていたのである。

 地下鉄のパイオニアを自認する東京地下鉄道はこれに強く反発し、東京高速鉄道との主導権争いが勃発。最終的に敵対的買収を仕掛けて経営権の奪い合いとなり、大きな社会問題となってしまう。

 見かねた政府は、東京市や民間企業に地下鉄建設を委ねることはできないと考え、東京市と両社から地下鉄免許を取り上げ、国主導の新組織を設立した。これが帝都高速度交通営団、つまり営団地下鉄である。

 東京市は国主導の地下鉄建設に反発し、東京の地下鉄は東京市が建設すると主張したが、免許を取得してから10年以上工事に着手できなかった上、免許を民間企業に譲り渡して混乱を招いた東京市に地下鉄整備を進める能力はないと判断されてしまう。日中戦争勃発後の戦時体制下において、首都の地下鉄は「国家的インフラ」と考えられたことも大きく影響した。

 東京都は戦後直後にも営団の廃止と地下鉄の都営化を国に求めているが、都には地下鉄建設のノウハウはなく、戦災復興で手いっぱいだったこともあり、現実的には不可能だった。

「帝都」を冠する古めかしい名称が示すように、営団地下鉄は戦時体制下に生まれた組織であったが、軍国主義と直接的に関係する団体ではなかったため、いくつかの制度を改めることでGHQに存続が認められ、戦後の東京においても営団が地下鉄建設を担うことになったのである。

 ところが高度経済成長が始まると、東京都の人口は戦前の水準を超えて増加し始める。戦前から遅れていた地下鉄建設は、いよいよ間に合わなくなり、やむなく政府は1957年に東京都の地下鉄参入を認める。東京都は悲願の都営地下鉄を設立し、地下鉄1号線(現在の都営浅草線)の建設を分担することになったが、1つの都市に2つの地下鉄事業者が存在するややこしい事態となってしまった。

 当初は、都営地下鉄の設立はあくまでも緊急措置であり、将来的に営団地下鉄と都営地下鉄は統合すべしとされていたが、うやむやのまま現在に至っている。

 2つの地下鉄が再び、1つになることはあるのだろうか。今もなお、地下鉄の歴史、銀座線の歴史から学ぶ教訓は少なくない。