明治時代の日本人が
「時間にルーズ」だった理由

 旧暦とは、月の満ち欠けにあわせて1ヵ月が進み、随時うるう月を挟みながら太陽の動きにあわせて1年が進んでいく、太陰太陽暦だ。明治政府は日本の近代化の一環として、欧米と暦を統一するために太陽暦へ改暦することを決定し、明治5年12月2日をもって旧暦を終え、翌日から太陽暦による明治6年1月1日を開始したのである。

 改暦と同時に行われた、もうひとつの大きな変更が、不定時法から定時法への時刻制度の変更だ。不定時法とは、日の出から日没までを昼、日没から日の出までを夜として、それぞれ6等分して時間を決める方式だ。季節によって時間の長さが変わるため不定時法という。対する定時法とは、いつでも「1分」「1時間」の長さが変わらない、現在と同じ時刻制度だ。

 つまり、鉄道が開業した明治5年9月12日の時点では、日本には不定時法の時間が流れていたことになるが、鉄道は開業時から独自の定時法を使用していた。なぜなら当時の鉄道は、ダイヤグラムに決められた時刻に沿って運転することで、前後の列車との間隔を保ち、対向列車との行き違いを行っており、日ごとに長さの変わる不定時法では列車を安全に走らせることはできなかったからである。

 列車の本数が増えていくほど、時間の管理は厳格になる。鉄道員と乗客の両方に、高度な時間感覚が生まれない限り、過密な列車運行は不可能だ。

 しかし、これは口で言うほど簡単なことではない。例えば開業時の営業規則では、乗客は列車が発車する15分前までに駅に到着するように定めていた。しかし、不定時法時代の日本人が日常的に用いた時間の最小単位はせいぜい「小半刻(約30分)」といわれている。また、時計も普及していない時代に、「15分前行動」はあまりにもハードルが高い要求だったはずだ。

 明治初期のお雇い外国人が「日本人は時間にルーズだ」と評しているように、日本人は元々時間に正確だったわけではない。では、なぜ私たちは、細かい時間に追われるようになってしまったのだろうか。その答えのひとつに、過密な鉄道輸送に過度に順応し続けた、鉄道150年の歴史を見いだすことは、とっぴなこととはいえないだろう。