カラヴァッジョの作品まるで写真のように花瓶の水までも描く技法は、当時も今も観る人を驚かせる。
【画像:ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《リュート弾き》1596-97年頃 個人蔵】

札幌を皮切りに、名古屋、大阪で開催される「カラヴァッジョ展」。彼の祖国・イタリアではダ・ヴィンチやミケランジェロよりも存在感がある画家として愛されている。画才はピカイチ、しかし殺人や傷害事件を起こすなど、札付きのワルだったカラヴァッジョ。光と影に彩られたその生涯とは――。(フリージャーナリスト 秋山謙一郎)

イタリアでは
紙幣になるほどの人気画家

 才とは罪である。ゆえに才を持つ者は、深い業を背負っているのかもしれない――。

 いつの時代でも、どこの社会でも、不器用な生き方しかできない者がいる。自らの才能を自覚し、自信を持っている。仕事熱心で、クライアントや顧客のニーズを的確につかみ、そのニーズを上回る結果を出す。だが、こうした仕事ぶりを裏打ちするピンと張り詰めた緊張感がずっと続くわけはない。ひとたび仕事を終えると、その緊張感からきたであろうストレスが、酒に博打、喧嘩、異性へと向けられる。そうしたトラブルがあってもなお、周囲は、「あれだけの仕事をしてくれるのだから…」と大目にみる。

 だから、また懲りもせず、同じ過ちを繰り返す。結果、歯止めが効かず、その人生は破滅へと向かう。

 そんな「破滅型の天才」を地でいくのが、イタリアを代表する画家のひとり、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョだ。日本では、よほどアートに関心がある向きでなければ、その名前と作品を思い浮かべる人はいないかもしれない。

 だが、彼の祖国・イタリアでは、ダ・ヴィンチやミケランジェロよりも存在感のある画家として誰もが知る存在である。かつてのイタリア紙幣で10万リラの肖像画にも選ばれているといえば、どれほどの知名度と存在感か、およそ察しのつくところだろう。

 カラヴァッジョが生を受けたのは1571年、世界史では「レパントの海戦」、日本史では織田信長による「延暦寺焼き討ち」が起きた年である。その人生は、彼の明暗、濃淡のくっきりした作風同様、天才と狂気が相まみえる「光」と「影」に彩られた、“波乱”の一語に尽きる。

 そんなカラヴァッジョの作品が日本にやってきた。今夏、札幌を皮切りに、10月から12月にかけては名古屋、12月から来年2月には大阪で巡回展が開かれる。この巡回展中、名古屋市美術館でしか観られないという《ゴリアテの首を持つダヴィデ》など、日本初上陸の作品もある。

 たとえアートに関心のない人でも、一度、観てしまえば瞼の裏側にその残像がくっきりと残ってしまい、記憶から離れない、観る者の魂を鷲づかみにする作風で知られるカラヴァッジョ。その暮らしぶりは次のように伝えられている。

「2週間ほど絵画制作に没頭し、これが終わると約1ヵ月から2ヵ月の間、従者を引き連れて、腰に剣を下げながら町を練り歩き、舞踏会場や居酒屋を練り歩き、口論や喧嘩に明け暮れた…」