人と違うことをやる。リスクを取ってでも新しい道を行く──。イノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どう育ってきたのか。今回は、幼少期から経営者を志し、大学時代にクラウドソーシングで起業した後、積極的なM&A戦略でサイバーセキュリティー領域にまで業容を広げるココンの倉富佑也さんです。(聞き手/ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

自分でビジネスをやりたい
高校選びもその思いから

倉富佑也

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──どんな家庭で育ちましたか。

 父親は日本IBMのエンジニア、母は専業主婦で、二つ下に弟、六つ下に妹がいます。

 生まれたのは神奈川県大和市で、小学校1年で東京の町田に引っ越しています。森を開拓した自然の多いエリアだったので、トカゲやザリガニ、カエルを捕まえるようなアウトドアな子供でした。

 見たことのない生き物を飼ってみたいという思いが強くて、小3の頃までは、将来はペットショップを経営したいと考えていました。

 珍しい生き物を飼うためにはお金も必要なので、中学生のときには6万円くらいする外国産のヤモリを2匹買って、それを繁殖させてペットショップに売ることで資金をつくるようなこともしていました。ヤモリには、卵のときの温度によって性別が変わるという生態があるんです。東京・新宿の紀伊國屋書店で海外の飼育本を買ってきて、繁殖に励んでいました。

──中学校は地元の公立ですね。

 実は、中学受験に失敗しています。小5から塾に通って、第1志望校を含め何校か受けたのですが、偏差値35くらいの絶対落ちそうもないところまで“全落ち”でした。

 今思うと、単に勉強が足りなかっただけでなく、自分が置かれている状況を理解していませんでした。自分の人生にとって中学受験とは何で、どのくらい勉強すればどういう結果を得られるかということを理解せずにやってたんです。

 受験が終わってから本棚を見ると、塾に通い始めた頃に親が買ってきた、開成とか筑駒(筑波大学附属駒場)の過去問があって、それくらいを期待されていたんだなということも改めて実感し、申し訳ないと思いました。

──そもそも、家の教育方針はどのようなものでしたか。

 医師とか弁護士とか国家資格を六つくらい挙げて、基本的にはそれを取れ、という安定志向でした。その中に経営者は入っていませんでしたね。実際、弟は医学生になっていますが、僕自身はそこまで真剣に受け止めていませんでした。

──「ペットショップの」という枕ことばが外れて、「経営者になりたい」という思いだけが残ったのはいつごろですか。

 本当に「いつのころからか」という感じで、割と早くから、ビジネスをやって生きていくとは決めていました。ただ、身近に起業家もいませんでしたし、どのようなビジネスをどの程度の規模でやるかといった具体的なことは何も決まっていなくて、漠然と、仲間と大きなことをやってみたい、それをやり遂げる人生でありたいとは心の底から思っていました。今も、それが天命だと思っています。