「『循環器とは畑違いのところに、勝手に行くとはけしからん』と、破門されてしまいました。だけど、古い価値観の先生に付き従ってイエスマンになってもしょうがないですからね。自分が信じた道を行くべきだと決め、後戻りはしませんでした」

 温和な風貌の福田先生だが、こうと決めたら後には引かない気骨がある。

 国立がんセンターの次はアメリカへ飛び、ハーバード大学やミシガン大学で心臓の遺伝子レベルの研究を続けていたところ、教授が代わって破門が解け、36歳のときに呼び戻された。

「アメリカ時代は、すごく楽しかったです。この領域の研究を心臓の領域に持ってくれば、必ず新しいことができると確信していました。だから、日本に呼び戻されたときは、自分にしかできないことをやるチャンスだととらえ、骨髄の細胞内にある幹細胞を心臓の筋肉に変えて心不全を治す研究を始めました」

 4年ほどの取り組みを経て、研究は成功。論文を発表すると、たちまち大反響が起き、先生は一躍、時の人になった。

「当時は、世界各国から講演に呼ばれ、医者として研究者として、この上ない幸せな時代でした」

 ところが2006年、iPS細胞が登場。再生医療は新しい局面を迎える。既に再生医療のトップランナーだった福田先生だが、すぐに山中氏に連絡を入れ、教えを請うた。

「慶應で講演をしていただいた後、iPS細胞の作り方などを教わり、素晴らしいと思いました。そうこうするなかで、iPS細胞にも問題点があることが分かり、さらに研究を進めることができました」

若い研究者には
「新雪のスキー」のように生きてほしい

 心筋再生の研究をしようと決めた背景には、20代後半に受け持った、1人の患者の存在があった。

「われわれ医者は患者さんから病気を学び、人生を学びます、僕は重症不全で入院してきた、20代前半の患者さんに学びました。

 彼は拡張型心筋症という病気で心臓の筋肉の収縮が弱々しくなり、肺や足に水が溜まり、息が苦しくなる病気でした。今から30年以上前なので、治療法は利尿剤と強心剤しかありません。大変な苦労をして、なんとか退院まで持っていくことができましたが、激しい運動は禁止で、限られた生活の中で生きていかれません。

 当時は、和田移植(※)の影響で、心臓移植はできない。非常に苦しい時期が長く続きましたが、決して不平不満を言わない人でした。それだけに僕はただ励ますだけしかできない自分が情けなかった。そこで『今は治せなくても、自分が生涯を通じて原因と治療法を勉強していけば、いずれは治せるに違いない』と強く思い、研究のテーマを心不全の治療と決めたのです」

※和田心臓移植事件:1968年8月に札幌医科大学の和田寿郎教授によって行われた日本初の心臓移植手術をめぐる事件。多くの問題点が指摘され、その後の日本の移植医療が停滞する原因になったとされる。