本書『「カッコいい」とは何か』の著者は芥川賞の受賞作家だ。長く不明瞭だった「カッコいい」という言葉の正体を文献と実例に基づいて暴いている。そもそも「カッコいい」という言葉自体が広く使われるようになったのは、メディアが普及した1960年代以降だという。語源の「恰好が良い」から始まり、それは「対象そのものが、そのジャンルの理想像と合致する」といった意味で用いられていた。今ではその言葉自体が発展し、「カッコいい」はジャンルを超越した理想像を示す言葉になっている。

「しびれる」という体感を伴う
興奮にフォーカス

 著者はこの「カッコいい」の要素を、魅力的/非日常性/共感体験などに分類・考察している。その文体は骨のあるカルチュラル・スタディーだ。しかし本書を手にとる前から、私も疑問があった。そもそも「カッコいい」という感覚は、いくら文章で明記されても納得しうるものだろうか?説明できる言葉は文化として育っていないのではないか?しかし、それらの疑問に対する解答は腑に落ちる形で存在した。著者は特に「しびれる」という体感を伴う興奮にフォーカスしているのだ。

 しびれる感覚だが、たとえばミュージシャンのライブに行くという衝動は、あきらかに「カッコいい」が原動力となる。それが動員数にも結びつき、経済効果が働く。いまサービスはストーリーがないと売れない時代だが、加えて無意識にあこがれるカッコよさが必要不可欠な時代となっているのかもしれない。

 私も実際に、サッカーワールドカップでしびれる体験があった。南アフリカ大会にて本田圭佑がフリーキックでゴールを決めた瞬間だ。ピッチと客席はわずか10m程だった。シュートが決まった瞬間を目の前で見たとき、轟音と呼べるほどの歓声とともに両腕に鳥肌が立った。思わず隣のサポーターに見せつけたほどだった。

 ヨーロッパでも、19世紀中頃に天オと称されたピアニストにリストがいる。彼は甘いマスクも兼ね添えていたため、貴婦人達が集うサロンに登場するだけで熱狂的な声に埋め尽くされたという。その様子は「皆に電気ショックが走ったようだった」と文献にも記録された。

 注意してほしいのは、本書は「カッコいい」人になるための指南書ではない。確かにボードレールやオスカー・ワイルドなど、カッコよさを体現していた生きざまについて触れたダンデイズムの章もある。それらを読めば、ヒントは無数にちりばめられている。しかし、いちばんの魅力は、今まで何気なくつかっていた「カッコいい」を因数分解している点なのだ。あの車カッコいい/ラグビーのトライがカッコいい/ミュージシャンのライブがカッコいい…各章を参照すれば、読んだ後は意図して魅力あるサービスや「しびれさせる」魅力をつくりだせるだろう。

 実際にSMBC信託銀行も他の銀行と差別化を図るため、現代アートを展示する試みが始まった。アートだって本質的には実用物でないにもかかわらず、「カッコいい」で何億もの価値がつく。マーケティング視点でも役立つ一冊だ。

(HONZ 新井文月)