中年の男性が無理をして若者言葉を使おうとし、しかしその言葉はすでに古くなっていて当人だけがそれに気づいておらず、ついていけていないおじさんの悲しい感性が露呈するという悲劇が今日も日本のどこかで目撃されているのであろうが、あの痛々しさと同種のものを流行語大賞に感じるのである。

 そもそも毎年なぜあれほど流行語大賞は盛り上がるのか。

 個人的には流行語大賞発表は「遠くの方で花火が上がっているなあ」「今年の花火はあんな形だったんだなあ」という感じで、おそらくほとんどの人がこれくらいの距離感ではなかろうか。熱心に花火打ち上げ会場まで足を運んで楽しみにする人はどれくらいいるのであろうか。

 ひとつ可能性を推測するなら、本稿を含めてマスコミは世相を扱うのが好きなので、それをもろに扱った“流行語大賞”という花火会場に足を運ぶ客層はおそらくマスコミがメインであり、花火を見たマスコミがこぞってああだったこうだったと取り上げる結果どのニュースも流行語について触れるので、世の中的に結構盛り上がっているように感じられるのかもしれない。

 確かに、繰り返しになるが本稿の企画があった段階で筆者は「取材なしの記事が書ける、楽できるぜ、ラッキー」と思ったことは事実であるからして、流行語大賞はマスコミにとっておいしいネタ、燃料なるありがたき存在に違いない。本稿も加担する流行語大賞の盛り上がりは、マスコミのそうした思いが積み重ねられて出現する、実相とは食い違った砂上の楼閣のようなものなのかもしれない。

そもそも“流行語大賞”とは
選出される語の方向性

 流行語大賞について筆者の知識、認識は「毎年何かしらの語が選ばれている」程度しかなかったが、この機会に少し調べてみることにした。

“流行語大賞”は、正式には「ユーキャン新語・流行語大賞」なる名称である。そしてややこしい話であるが、“流行語大賞”なる名前の賞は授与されない。授与される賞は「年間大賞」および「トップテン」で、年によっては「審査員特別賞」が追加されることがある。つまり「ユーキャン新語・流行語大賞」はその年の新語・流行語を決める例のコンテストのことを指すだけにすぎず、もっとも有力だった語には“流行語大賞”や“新語大賞”ではなく「年間大賞」が授与される仕組みである。

 はなはだややこしいがこの細かい部分を知らなくても巷間で流行語大賞を語る上でさしたる不自由はない……と思いきや、一点気付かされたことがあった。

“流行語大賞”の名で知られる「新語・流行語大賞」は、流行語だけでなく「新語」も含めて決められているということである。すなわち、「授賞に至った語がどれも実際は流行していなくて痛々しい」と筆者は述べたが、この指摘がずれていることが判明した。流行っていない語は「新語」として授賞したのだと考えれば、「流行っていないのに」という点で主催者が責められる筋合いはなくなるのである。

 とはいえ、依然として他の部分で主催者には隙がある。

 まず“流行語大賞”なる略称が広く親しまれているのを主催者が野放しにしている点。マスコミに「略さずに報道してください」と通達しておけばあらぬ誤解は生まれない。誤解を放置しておくから誤解されたままでも仕方なく、「今年もまた全然流行してない言葉を選んで~」と批判を受けるのも致し方ないところであろう。