都立「西高校」卒業生の半数が浪人をする理由左隣の東京学芸大学附属竹早小中と並んでいる「竹早」

絶対的エースを欠いた旧第4学区 

 文京区、豊島区、板橋区、北区をそのエリアとしていた旧第4学区のトップ校は小石川(旧制5中)である。理系に強い学校として名を馳せてきた。学校群では旧制中学と旧制高等女学校の組み合わせということで、竹早(旧制2高女)と同じ41群だった。

 ところが、小石川は2006年から中等教育学校に改組され、都立高の仲間ではなくなってしまった。後を託された形の竹早が旧第4学区のトップ校として残ったものの、やはり西の水準まではなかなか及ばない。

 竹早は、東京学芸大学の附属小中と敷地を接しており、一見すると小中高一貫のようだ。文京区のこのエリアには、国立の筑波大やお茶の水女子大の附属校も並び、日本屈指の文教地区を形成している。

都立「西高校」卒業生の半数が浪人をする理由運動部の活躍状況を校舎に垂れ下げる学校は数多いが、この学校のそれは、よく見ると理系のコンテスト関連のものも多い(小石川中等教育学校)

 一方の小石川は、都立の進学指導重点校と進学実績で張り合う存在になっており、都立中高一貫校のリーダー的存在として、西に迫りうる唯一の存在といえるかもしれない。

 他の伝統校では、北園(旧制9中)が豊多摩と同じ偏差値59へと大きく伸ばし、足踏み状態の竹早に迫っている。文京(旧制第三東京市立)もそれに続き、二番手校の地位を保っている。

 三番手校には豊島(旧制10高女)、戦後生まれの向丘(1948年創立)が続く。伝統校の城北(旧制14高女/北区)は1999年に閉校され、跡地に桐ケ丘が新設された。板橋区にあった北野(旧制12高女)も志村と統合して閉校、2007年に開校した単位制の板橋有徳に生まれ変わっている。