ソースネクストの松田憲幸社長は、2000年代後半に陥った経営危機の要因を鑑み、自身がアメリカのシリコンバレーに移住することを決断します。それはなぜか?そして、そこでの交渉の実戦でわかったことが、いくつもありました。松田さんの著書『売れる力 日本一PCソフトを売り、大ヒット通訳機ポケトークを生んだ発想法』より数回に分けてご紹介していきます。

 交渉で気をつけていることは、「これを決めないといけない」となったら絶対にあきらめないことです。実際、多くの会社から私は「本当に呆れるほどしつこいな」と言われてきました。粘って粘って、あきらめないのです。

 相手のオフィスにどんどん行く。毎日、行くこともありました。単なるミーティングよりは、少しでも多く話す機会が持てるランチのほうが効き目があるので、ランチを3日連続でとったこともあります。

 「Dropbox」のディールでは、30回は通いました。担当者と何度もランチをし、CEOにも会いました。これほど訪問回数を重ねたのは、先方の担当者が何度も代わった影響もあります。

 アメリカでは、社員が転職するのは日常茶飯事ですから、担当者が代わった途端、途中まで進んでいた交渉が、振り出しに戻ってしまいます。それでも、あきらめてはいけません。ひたすら通い続ける。前任担当者は興味を持ってくれていたのに、次の担当者は興味がない、などということもあります。それでも通い続ける。

 提案も、臨機応変に変えます。「Dropbox」のときは、複数のパッケージイメージを作って持っていったり、1年版はダメだったので、複数年版を考えて提案してみたり。すると、また担当者が代わってしまったのですが、あきらめずに、ひたすら通い続けました。最後は、担当者が根負けしたのだと思います。「わかった。なんとかCEOに話してみるよ」と言ってくれました。

 何度もオフィスに来るので、何とかしないといけない、とCEOに話を再度つないでくれたのです。そこからは、トントン拍子で話が進みました。担当者からはこのときも、「こんなにしつこい人はいないよ」と笑いながら言われました。本当にPersistent(しつこい)だ、と。

 あと、交渉相手が決まると、最初に会ったときに、尋ねる質問があります。

 「お酒は飲みますか?」

 全員が飲むわけではありませんが、多くの割合でアメリカ人もお酒は好きです。そこで、飲みに誘うわけですが、アメリカではビジネス相手とディナーをともにする習慣はあまりありません。みんな家族を大事にするので、夜の接待はアメリカでは基本的にないのです。このため、ランチの時間を使います。

 私がよく行くのは、先にも紹介したスティーブ・ジョブズさんも愛した和食の店「陣匠」です。ここのランチは絶品なのですが、金曜日は白ワインを持ち込ませてもらい、カウンターで飲みながら商談をすることもあります。これだけでも、まるで雰囲気は変わります。

 やはりお酒が入ると、リラックスムードになります。本音の話もできる。ただし飲むといっても、せいぜいグラス1~2杯です。瓶の中に残ったワインはスタッフに「飲んでください」と差し上げています。

 一緒に飲むとやはり話は弾むと思います。お酒の効果が大きいことをよく実感しています。

契約を成立させないと意味がない

 ただし、いくら交渉相手と仲よくなったとしてもアメリカでの交渉中に注意しなければならないのは、「契約書がすべてだ」と頭に叩き込んでおくことです。相手に口頭で「やりましょう」と言われたり、握手をしたりしたとしても、何の意味もありません。

 実際、よくあるのです。

 「俺を信じろ」と言われて、サインもしない、契約もしないまま進めていたら、結局、裏切られて終わる、ということは珍しくありません。私も二十数年の交渉経験においては、いろいろなことがありました。大丈夫だから、と口頭で合意をしていても、絶対に信じてはいけません。裁判をやっても勝てません。やはり、契約がすべてなのです。

 実際、こんなことがありました。いつもの「陣匠」で日本酒を飲みながら商談を2時間くらいかけ、契約書へのサインが終わり、ホッとしていたのですが、3日後には彼はもう会社にいませんでした。会社を辞めていたのです。

 もし、そのときにサインをもらっていなかったら、契約は成立していなかったでしょう。また新しい担当者とゼロから交渉をする羽目に陥っていました。考えただけでも、ぞっとします。そうやって契約にこぎつけられていない企業も、たくさんあるのではないでしょうか。いい感じだったのに、最後は、契約に至らず終わってしまう。とにかくサインをもらって、契約をしっかり完了させないといけません。

 このように、担当者がコロコロ代わるのは、契約までたどりつけないリスクの一つでもあるのですが、一方でポジティブな面もあります。交渉がうまくいかない担当者がいたとしても、その人が辞めてしまえば、次には相性がいい担当者に代わる可能性があるからです。

 しかもありがたいことに、日本であれば、しつこくして出入り禁止を言い渡されておかしくないようなケースでも、担当者が辞めてしまえばリセットされます。

 また、良い関係が作れている担当者なら、次の転職先と新たなビジネスが始まる可能性も高いです。実際、「前の会社ではできなかったけど、今の会社だったらできるよ」と言われることもよくあります。日本では、ちょっと考えられないことですが、同業間でもどんどん転職するので、大いにあり得ます。

 ディールができない理由が、担当者個人にある場合が少なくはありません。また、担当者とは好感触でも、トップや上司がイエスと言ってくれない、となると、日本の会社の場合はそこで終わりですが、アメリカではそうとも限りません。トップや上司も代わることが多いからです。

 だから大事なことは、ずっとコンタクトし続けることです。うまく進まなかったとしても、あきらめずに、定期的につながっておくことが重要です。

 たとえば、パーティーに出席して、距離を詰めてから、様子を聞く。そうすると、先方の社内の状況の変化がわかる。実際、変わっていることも多いものです。

 だから、もうあの会社は無理だ、あのカルチャーでは突破できない、とあきらめることはありません。半年も経てば、トップが代わったり、上司が代わったりして、環境が変化していることが少なくないからです。そうすると、交渉をめぐる状況も一変する。だから、アタックし続けることが大事です。