100パーセント正しい演繹
科学で重要なことは、推論を行うことだ。推論とは次の例のように、根拠と結論を含む主張がつながったものである(ちなみにイカの足は腕と呼ぶ方が生物学ではふつうだけれど、ここでは足と書くことにする)。
(根拠)イカは足が10本である。
(根拠)コウイカはイカである。
(結論)したがって、コウイカの足は10本である。
さて、このような推論には、演繹(えんえき)と推測の2種類がある。演繹では100パーセント正しい結論が得られるが、推測では100パーセント正しい結論は得られない。しかし、科学では推測が重要だ。重要だが、まずは演繹から見ていこう。
前の3つの主張から成る推論は、実は演繹と呼ばれるものである。そして、この演繹は100パーセント正しい。なぜなら2つの根拠が成り立っていれば、必ず結論が導かれるからだ。こういう演繹を行っていれば、科学でも100パーセント正しい結果が得られそうだ。でも、残念ながら、そうはいかない。
科学は、新しい情報を手に入れようとする行為だが、演繹では、新しい情報は手に入らないからだ。演繹をしても、情報は増えないのである。「根拠が成り立っていれば、必ず結論が導かれる」ということは、「結論(の情報)は、根拠(の情報)の中に含まれている」ということでもある。だから、いくら演繹を繰り返しても、知識は広がっていかないのだ。
科学の話に進む前に、「逆・裏・対偶」の説明も簡単にしておこう。たとえば、先ほどの演繹の最初の主張は、「イカは足が10本である」だった。
この主張の逆は「足が10本ならイカである」だ。ちなみに、エビも足が10本なので、この主張は正しくない。
裏は「イカでないなら足が10本でない」だ。ちなみに、この主張も、エビは足が10本なので正しくない。
対偶は「足が10本でないならイカでない」となる。ちなみに、この主張は正しい。
この、逆・裏・対偶は、【イラスト】のようにまとめられる。
元の主張が正しくても、逆や裏が正しいとは限らないが、対偶は必ず正しい。