かつてない「システム発注者のための入門書」として注目を集め、現在5刷のロングセラーシステムを「外注」するときに読む本』。本連載では、その著者であり元東京高等裁判所IT専門調停委員、現在は経済産業省CIO補佐官の細川義洋氏が、システム開発における「経営者の役割と責任」を裁判例や実例をベースに問うていきます。(構成:今野良介)。

「完璧な要件定義」を目指した末路

自社の業務を改善し、新しい事業を始めようとするのであれば、それを支援する何らかのITシステムを導入することは、もはや必須と言っても良いほどに当たり前になってきました。

ITシステムを導入するには、当然のことながら、そのシステムに持たせたい機能や性能を決めて、ITベンダーに伝えなければなりません。たとえば、「顧客の購買履歴から消費傾向を分析し、顧客ごとに効果的な広告を打ちたい」と考えるなら、システムには、次のような性能を「要件」として定める必要があります。

・購買履歴として商品名、価格、年月日、購買理由を記録する
・顧客の消費傾向にマッチする当社製品を複数選択する
・効果的なWEB広告媒体と発信日時を決定する
・購買履歴の入力は、打鍵開始から記録までを30秒以内で完了すること
……などなど

この「要件を決める作業」が、一般に「要件定義」とか「要求定義」、あるいは「仕様確定」などと呼ばれるものです。

企業の活動にはITシステムが必須という時代ですから、この要件定義は、ほとんどすべての企業が行わなければならない仕事だと言えます。銀行であれ商社であれ、町工場、旅館、芸能プロダクションであれ、業態や規模の大小を問わず、ITシステムの要件定義は経理や人事と同じ必須スキルになってきました。

とはいえ、ITシステムというものは専門性が高いですから、発注者企業内の人間だけで要件定義を行うことは困難なことも多いものです。事実、ITベンダーに大まかな要望だけを伝えて、「要件定義書」を作ってもらう、という例も少なくありません。

ところが、これにも多くの問題があるのです。要件定義書を作るITベンダー側が、発注者企業の業務を理解せず、いつまで経っても要件が決まらず、何年かかっても欲しいシステムが手に入らない、ということがあります。

発注者企業としては、多額の費用を掛けてITシステムを導入するわけですから、ベンダーにもしっかりと業務を理解してもらいたいところですし、要件定義書に不備があれば、納得のいくまでしっかりと修正をしてもらいたい、と考えるのは当然でしょう。

しかし実際には、要件定義の修正は、いつまででも続けられるものではありません。

たとえば、過去にこんな裁判がありました。

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以前、ある人材派遣企業が、基幹システムの要件定義と開発をベンダーに依頼した。人材派遣企業は、ベンダーの作る仕様書(要件定義書)の出来が気にくわなかったようで、ベンダーが何度直してもOKを出さず、要件が決まらないまま約2年が過ぎた。2年経っても要件定義すら終わらず、いつ終わるのかすら分からないという状態に、ベンダーの方が我慢しきれなくなり、あるとき、ベンダーは契約を解除した。

突然の解約に驚いた人材派遣企業は、「これはベンダーの債務不履行だ」として、損害賠償を求める訴訟を提起した。

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こうした例は他にもいくつかあって、とにかく発注者企業がITベンダーに「100点満点」を求めること、つまり「自分達が思いつくすべての機能を入れて、品質も盤石になるような要件定義をしなければならない」と望むことが、要件定義段階のトラブルを引き起こすケースが多いのです。

正直、それではベンダーも逃げます。いつまで経っても先の見えない要件定義を延々と続けさせられていたら、ベンダーも人を貼り付けっぱなしにできませんし、コストばかりが膨らんで赤字です。「とっとと逃げて、こんな質の悪いお客さんには近寄らないようにしよう」と考えるようになってしまいます。

実際、この裁判の判決は、こうでした。

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(発注者である人材派遣企業が)新たな要求事項を追加するなどして、本件ソフトウェアの要件定義を確定させようとしなかった上、ベンダーから提案された追加費用の負担にも一切応じようとしなかったことに最大の原因があると考えられる。そうだとすれば、ベンダーに債務不履行の原因があるということはできないというべきである。

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つまり、人材派遣企業の言い分は却下されたのです。

良いITシステムを導入するのに熱心なこと自体は、もちろんよいことです。ですが、度が過ぎると、ベンダーが持ちませんし、いつまで経っても何も出来ないプロジェクトになってしまいます。

本来あるべき姿は、ベンダーに頼らなくても、自分達で要件定義ができる程度のスキル・知識を発注者側の社員が持っていることです。会社の経営陣としても、そうした観点で、社員向けのIT教育を充実させることが大切だと、わたしは思っています。

『システムを「外注」するときに読む本』では、発注者企業が、ITベンダーに発注する前に最低限の知識を得て、トラブルを回避してプロジェクトを成功させるためのポイントを凝縮しています。是非ご一読され、使い倒し、貴社のプロジェクトの成功に寄与できることを心より願っています。