40歳を目前にして会社を辞め、一生懸命生きることをあきらめた著者のエッセイが、韓国で売れに売れている。現地で25万部を突破し、「2019年上期ベスト10」(韓国大手書店KYOBO文庫)、「2018年最高の本」(ネット書店YES24)に選ばれるなど注目を集め続けているのだ。
その本のタイトルは、『あやうく一生懸命生きるところだった』。何とも変わったタイトルだが、現地では、「心が軽くなった」「共感だらけの内容」「つらさから逃れたいときにいつも読みたい」と共感・絶賛の声が相次いでいる。日本でも、東方神起のメンバーの愛読書として話題になったことがあった。
そんなベストセラーエッセイの邦訳が、ついに2020年1月16日に刊行となった。この日本版でも、有安杏果さんから「人生に悩み、疲れたときに立ち止まる勇気と自分らしく生きるための後押しをもらえた」と推薦コメントが寄せられ、発売即大重版となるほどの売れ行きとなっている。多くの方から共感・絶賛を集める本書の内容とは、果たしていったいどのようなものなのか? 今回は、本書の日本版から抜粋するかたちで、人生のとらえ方について触れた項目の一部を紹介していく。

有名文学作品にキャッチコピーをつけると……

 アラン・ド・ボトンは、彼の著書『ステイタスの不安』の中でこんなエピソードを書いている。ゴシップ記事が売りの新聞社で、著名な文学作品のキャッチコピーを選ぶならこうなるだろうと。

 オセロー【愛に目がくらんだ移民、元老院委員の娘を殺害】
 ボヴァリー夫人【買い物中毒の不倫女 借金地獄の末に服毒自殺】
 オイディプス王【実母との性的関係 盲目の愛欲】

 細かいエピソードや過程をすっ飛ばし、結果だけを要約するとこうなる。物語を無視した結果とは、こんなにも冷酷だ。悲劇の主人公たちへの共感や理解は消え、代わりに嘲笑と軽蔑が生じる。

 そのやり方なら、僕が好きな映画『花様年華』は「妻の不倫相手の妻と愛に堕ちる」に、『ジョゼと虎と魚たち』は「足が不自由な女性と恋に落ちた青年、障壁を乗り越えられず結局離別」なんて要約されるだろう。

 最も美しく悲しい恋の物語だと思っている大切な2本の映画にそんなキャッチコピーがついたら、僕はとても許せない。単純に不道徳な関係とか結婚に至らず失敗した恋愛だと片付けるのは、ちょっと乱暴すぎるじゃないか。

 きっとこの映画を見たことがある人なら理解してくれるだろう。ストーリーを最後まで見れば、単純に世間の物差しで評価できるような作品ではないとわかる。

大切なのは「結果」ではなく「物語(プロセス)」

 忘れてはならないのは、僕らの人生もこれら物語と同じだという点だ。どの人の人生も、ゴシップ記事の見出しではない。とても長い物語、つまり小説なのだ。

「あの人はずいぶん稼いだから、成功した人生だ」
「望み通りにいかなかったから、失敗した人生だ」
「結局、結婚できなかったから、失敗した恋愛だ」
「大成功しなかったから、この仕事を選んだのは失敗だ」

 物語を見ずに結果だけで人を評価するような習慣は、いつしかブーメランのように戻ってきて自分の人生を評価する。自分の人生は失敗だと判断し、成就しなかった恋は時間のムダと決めつけ、他人との単純な比較で自分の人生が惨めに思える。

 しかし、それがすべてではない。もっと正確に言うとそう見えるかもしれないが、それが全部ではないという話だ。

 誰にでも、目に見えるもの以上の多くの物語があることを忘れてはいけない。

(本原稿は、ハ・ワン著、岡崎暢子訳『あやうく一生懸命生きるところだった』からの抜粋です)

ハ・ワン
イラストレーター、作家。1ウォンでも多く稼ぎたいと、会社勤めとイラストレーターのダブルワークに奔走していたある日、「こんなに一生懸命生きているのに、自分の人生はなんでこうも冴えないんだ」と、やりきれない気持ちが限界に達し、40歳を目前にして何のプランもないまま会社を辞める。フリーのイラストレーターとなったが、仕事のオファーはなく、さらには絵を描くこと自体それほど好きでもないという決定的な事実に気づく。以降、ごろごろしてはビールを飲むことだけが日課になった。特技は、何かと言い訳をつけて仕事を断ること、貯金の食い潰し、昼ビール堪能など。書籍へのイラスト提供や、自作の絵本も1冊あるが、詳細は公表していない。自身初のエッセイ『あやうく一生懸命生きるところだった』が韓国で25万部のベストセラーに。