世界で最も遠隔医療が進んでいる国はアメリカだが、世界で初めて国際遠隔医療を実現させたのは旭川医大だった。

 旭川医大はインターネットが普及する前の1994年から遠隔医療に取り組んできた。まだISDN回線の時代だ。そのとき実施したのは、約200キロ離れた旭川医大と余市協会病院間をINSnetで結び、TV会議システムを用いてカラー動画をリアルタイムで送受信するというもので、日本初の遠隔医療の試みとなった。

 その後は、1996年にアメリカのハーバード大学医学部スケペンス眼研究所と世界初の国際遠隔医療を、さらに1998年には中国の南京中医大学眼科と国際ISDN回線を介して、診断や治療法に関するディスカッション、ライブサージャリーを行うなど、数々の取り組みを行ってきた。

 吉田学長が感慨深く振り返るのは、2006年に総務省が構築したアジア・ブロードバンドネットワークを用いて行った、旭川医大、タイ、シンガポールの3カ国間で、3D-HD手術動画を相互にライブ伝送する「バーチャル眼科シンポジウム」に成功したことだ。

「アジア諸国の医療格差の解消をはかるための取り組みです。日本が世界の医療に大いに貢献できることを示せたと思います。タイ、シンガポールの医療レベルは当時、世界でも下のほうでしたが、いまは上位に来ています。特にシンガポール国立大学の医学部はアメリカのデューク大学と提携し、アジアNo.1の評価を得るまでになりました」

 2011年には、中国・衛生部との間で「日中遠隔医療プロジェクト無償援助協定」を締結した。2011年といえば尖閣諸島問題で日中関係がどん底まで冷え込んでいた時期だ。

「訪中し、あの国の医療過疎問題の解決手段として、少なくとも北京と上海には遠隔医療センターを作るべきだと提案して、いい感触を得られた直後に中国漁船衝突事件が起きました。閣僚級の交流停止で絶体絶命と思っていたら、その6日後、向こうの大使から『先生、政治と医療は別だよね』と連絡が入り、同日夜には、『観光で来ました』と来日されて、旭川市内で会いました。そしてなんと『中国の遠隔医療5カ年計画に、吉田式の遠隔医療を取り入れることを政府が決めました』と知らされ、驚きました」

 こうした動きは、日本政府も気付かないうちに電光石火の早さで進んだという。吉田学長は、政治を凌駕(りょうが)する遠隔医療の高速進化を「ドッグイヤー」ならぬ「マウスイヤー」と呼ぶ。そのハイスピードな進化は常にICTの進化と共にあった。