ヴェルサイユ宮殿の歴史

ルイ14世の騎馬像宮殿正門前の広場にあるルイ14世の騎馬像

ヴェルサイユ宮殿の沿革

 ヴェルサイユ宮殿は1661年に太陽王ルイ14世の「有史以来、最も大きく、最も豪華な宮殿を!」というひと声で建設が始まりました。パリから20kmも離れた、もともとは沼地であったこの土地に森を造り、セーヌ川の流れを変え、噴水のために巨大なポンプを造ってセーヌ川の水を汲み上げるといった自然の大改造まで行ったのです。

 宮殿にはありとあらゆる装飾を施し、贅の限りを尽くしました。このためフランス中の建築家、画家、彫刻家、造園家、そして何万人という労働者が駆り出されました。この途方もないプロジェクトの中心となったのが、建築家のルイ・ル・ヴォー、画家のシャルル・ル・ブラン、そして造園家のアンドレ・ル・ノートル。当時最高レベルのスタッフによって生み出されたのが、ヴェルサイユ宮殿だったのです。

 1682年には宮廷と政府がヴェルサイユへと移されました。1715年にルイ14世が亡くなった後、ヴァンセンヌやパリへ移転された時期もありましたが、1722年、ルイ15世がヴェルサイユにふたたび政府を置きます。

 ヴェルサイユ宮殿は、ルイ14世に続くルイ15世、ルイ16世の治世下でも、それぞれの趣味を反映した改装がなされましたが、1789年のフランス革命によって王政が廃止されると、権力の中枢としての役割を終えました。

 その後、ナポレオンによる修復を経て、王政復古で王位に就いたルイ・フィリップ王によって歴史博物館に生まれ変わります。1919年には鏡の回廊にて、第1次世界大戦を終結させるヴェルサイユ条約が調印され、1979年にはヴェルサイユ宮殿と庭園がユネスコの世界遺産に登録されました。

戦闘の回廊ルイ・フィリップ王による博物館改修時に造られた「戦闘の回廊」

マリー・アントワネットのエピソード

マリー・アントワネットの肖像画プティ・トリアノンにあるマリー・アントワネットの肖像画

 マリー・アントワネットは1770年にルイ16世と結婚。オーストリアからフランスへ嫁いできたとき、彼女はまだ14歳でした。ヴェルサイユ宮殿にあるオペラ劇場は、ルイ16世とマリー・アントワネットの結婚式を機に造られ、その後は仮面舞踏会や祝宴に利用されたものです。

 ヴェルサイユ宮殿の日常は、起床から3度の食事、就寝までルイ14世が定めた厳格な儀式の形で行われていました。ハプスブルク家の末っ子として自由奔放に育ったマリー・アントワネットにとっては、とまどうことばかりでした。堅苦しい宮殿は退屈そのもので、夜ごと踊りに出かけたり、ドレスや宝石を次々と注文したりして、満たされない心を埋めていたのです。

 また、ルイ14世から贈られた離宮プティ・トリアノンをこよなく愛し、友人や家族だけを招き、親密な時間を過ごすようになります。庭園の奥まった所には「王妃の村里」まで造り、子供たちと疑似農村生活を楽しみました。

 王妃としては、ひとりの女性としての幸せを味わいたかっただけですが、これらの浪費に次ぐ浪費が民衆の反感と憎しみを呼び、やがて革命へとつながっていきました。革命勃発とともにマリー・アントワネットは捕らえられ、1793年コンコルド広場にて、断頭台の露と消えたのです。