世界の人口の6分の1を占め、日本との人の行き来が極めて盛んな中国人全体を入国拒否の対象にするのは、あまりにも範囲が広すぎる。
欧米で台頭しつつある、[中国人=ウイルスのキャリア]というイメージでの新たな黄禍論に加担することになりかねない。
欧州では中国人観光客への暴力事件も報じられているが、そういう偏見を抱いて、民族指定での入店拒否を当たり前と思うような西欧の白人にとっては、中国人も日本人もほぼ同じだろう。
日本がそういう安易な線引きに同調したら、西欧人の偏見を批判できなくなる。
「中国人」隔離にこだわる多くの人は、人種・民族が問題ではなく、中国人であれば湖北省の人と接触している可能性が高いからだと言う。
しかし、それは、アラブ系のテロリストが多いので、アラブ系(に見える)人に対するセキュリティー・チェックだけ強化するのは当然、という理屈とどう違うのだろうか。
ネットでは、感染者を受け入れる病院やホテルを特定して、誹謗するような書き込みも徐々に目立っている。学校での差別的言動も報告されている。
感染者差別が、右派の反中国感情を媒介にして、中国人差別と結び付きつつある。
中国人観光客がいなくなった今こそ、京都に行こうとアピールするネット上のニュース記事もある。さほど悪意はないのかもしれないが、こうした物言いは、屈折したナショナリズム感情を助長する恐れがある。
日本政府の場合は、現状でも憲法で保障される個人の基本的人権を最大限に尊重することを少なくとも建前にして、医療・公衆衛生政策を行っている。
その政府がポーズだけにしても、法的根拠もないまま、強権発動するかのような姿勢を取れば、日本国内で中国以上の混乱が起きる可能性も否定できない。
中国の習近平主席など、コロナウイルス問題を「戦争」に例える政治家やジャーナリストがいる。ある意味、その通りである。
戦争などの非常事態では、憲法や法律の基本的原理にさえ反するような、超法規的な政治的決断が必要になる。すでに述べたように、新型感染症に有効に対処しようとすれば、現行法の限界を超えた政治的判断が求められることもあり得るだろう。
ミサイル攻撃から全ての市民の命を確実に守るには先制攻撃しかない。しかし、その予測を誤ると、大変なことになる。
感染症の封じ込めのために、疑惑の段階で先制的封じ込め措置を断行する場合も、後になって有効な措置だったと判明すれば、事後的に正当化されるだろうが、そうでなかったら、基本的人権をないがしろにしたと非難され、民主主義の本質をめぐる大問題に発展しかねない。
そしてそんなことにこだわるやつらこそ非国民だという世論が強まったら、別の意味でまた危険である。