「和敬塾」という珍しい男子学生寮がある。東京・目白台の旧細川邸7000坪の土地に、前川製作所の創業者・前川喜作氏が1955年に設立。現在も大学、国籍、宗教にかかわらず400人以上の学生が暮らす。昭和天皇の手術を執刀した治療チームの一員であり、杏林大学名誉学長の跡見裕氏は1963年に和敬塾に入った。跡見氏に、多様性の大切さを学んだという和敬塾での交流を語ってもらった。(清談社 村田孔明)

ケネディ暗殺ニュースにも
まったく動じなかった塾生

跡見裕氏
跡見裕(あとみ ゆたか)1944年生まれ、愛知県出身。東京大学医学部卒業後、東京大学第一外科を経て杏林大学教授、同大学学長を歴任。現在は杏林大学名誉学長、日本膵臓病研究財団理事長、いばらき医療大使などを務める Photo by Kazutoshi Sumitomo

 1963年、跡見裕氏は愛知県立旭丘高校を卒業し、東京大学理科3類(医学部)に進学する。和敬塾で「はじめての“奥さん”ができました」と、跡見氏は笑う。

「当時は2人1部屋。南寮に入った私のルームメイトは、広島出身で早稲田大学政経学部に通う奥禎尚さん。怠け者の私の面倒をよく見てくれました。私が寝坊して、食堂の朝食時間に間に合わないときは、部屋でトーストを焼いて、バターとはちみつを塗って、食べさせてくれる。だから私のはじめての奥さんは“奥さん”です」(跡見裕氏、以下同)

 受験勉強の反動から、跡見氏は大学に入るとテニスに熱中した。勉強をおろそかにしていた跡見氏を叱ってくれたのも奥さんだという。

「和敬塾には灘高でインターハイに出場したか、するくらいの腕を持った小林凱一さんがいて、和敬のテニスコートで指導してくれました。そのおかげで東大の1年生ではうまくなったのですが、秋の新人戦初戦で中央大学の選手に6対0のワンセットマッチで負けてしまいました。かなり落胆しましたし、奥さんからも『テニスばかりしないで、勉強しないとダメじゃないか』と叱られ、それからテニスはほどほどにしています」

 奥さんから世話を焼いてもらっていた跡見氏。しかし隣の部屋には、跡見氏よりもさらに生活に無頓着な学生が住んでいた。

 江崎グリコ創業者・江崎利一氏の孫で、グリコ栄養食品元会長の江崎正道氏だ。灘高出身で一橋大学に通っていた。

「忘れもしませんよ。1963年11月、アメリカのケネディ大統領が暗殺されたニュースで、和敬塾は大騒ぎでした。江崎に伝えにいくと、お昼近くなのに彼はぐっすり眠っている。肩をゆすって『ケネディが暗殺された』と呼びかけても、驚きもせずに、寝ぼけ眼でじっとして聞いているだけ。当時から何事にも動じない男でしたね」

 江崎正道氏の兄で、江崎グリコ社長の江崎勝久氏とも縁があった。

「本当に仲の良い兄弟でした。関西の江崎の家に遊びにいったとき、兄貴はボーナスをはじめてもらったのか、気が大きくなっていて、梅田で肉を食べようと誘ってくれました。江崎と私が一番高い肉を注文したら、兄貴は1人だけ安いハンバーグ(?)を頼みました。予算オーバーだったんじゃないかと心配しました(笑)」