「手続き的知識」にして忘却を防ぐ
手続き的知識はより長く保持されるという事実から、有効な経験則が導き出される。
大量の知識やスキルを均等に習得するのではなく、その中核にある情報をより頻繁に学習することで、情報が手続き的なものになり、より長く保持されるようになるのだ。
これは、私が友人と行った言語学習プロジェクトの、予期せぬ副産物だった。
常に新しい言語を話さなければならないということは、その言葉の中心にあるフレーズやパターンが頻繁に繰り返されることを意味し、決してそれを忘れることがなくなったのである。
これはあまり使われない単語やフレーズには当てはまらないが、会話の出発点を忘れることはない。
言語学習の古典的アプローチでは、生徒は初心者向けの単語や文法からスタートし、より複雑なものへと「移動して」いくためこうした現象は起きず、中心的なフレーズやパターンが、何年も練習しなくても忘れないほどしっかり保持されなくなってしまう。
コアとなるスキルを完全に「手続き化」できなかったことは、私の最初の自己教育プロジェクトだったMITチャレンジ〔入学しないまま、MIT4年分のカリキュラムを1年でマスターするプロジェクト〕の大きな失敗であり、その後の語学学習プロジェクトや画力向上プロジェクトでは改善することができた。
MITチャレンジでは、数学やプログラミングのコアスキルが何度も繰り返し登場していたのだが、最終的に手続き化されたのは行き当たりばったりの知識で、「コンピューター科学を実際の仕事で活用するための基本的スキル」として慎重に選んだものではなかった。
私たちが学んでいるスキルのほとんどは、完全には手続き化できていない。いくつかは何も意識しなくても、自動的に実行できるが、それ以外は積極的に心の中を探る必要がある。
たとえば、代数学では、変数を方程式の一方の側からもう一方の側に、考えることなく簡単に移動できるかもしれない。
しかし、指数や三角法が関係している場合は、もう少し深く考える必要がある。おそらくその性質上、一部のスキルは完全に自動化できず、常に意識的な思考を必要とするだろう。
これは知識の興味深い混合を生み出し、あるものは長期間にわたって非常に安定して保持され、他のものは忘れられやすい。
この概念を適用するための1つの戦略は、練習を完了する前に、一定量の知識が完全に手続き化されるようにすることだ。
もう1つのアプローチは、追加の労力を費やして、ある知識への手がかりやアクセスポイントとなるようなスキルを手続き化することである。
これらの戦略は賭けのような側面もあるが、私は「知識を宣言的から手続き的へと変える」というアプローチをウルトラ・ラーナーが活用できる潜在的な領域は、非常に多いのではないかと考えている。
(本原稿は、スコット・H・ヤング著『ULTRA LEARNING 超・自習法』〈小林啓倫訳〉からの抜粋です)