米国以外の先進国では、国民皆保険制度を生活習慣病という自己責任のウエイトが大きい疾患にも適用しているのが実態だ。

 それが原因で、感染症という「負の外部性」、つまり他人に感染するという多大なリスクがあり、そのために「公的な対策」や「助け合い」が必要な重大な疾患に対してさえも、「生活習慣病と同等に自己責任の問題」と考えてしまうのだ。

 このため、今回のような感染リスクが高い感染症の場合、決して「自己責任で勝手にやればいい」ではなかったものなのだが、多くのK-1参加者は「自己責任である」と勘違いしてしまう人が多かったのだろう。

自己責任論が強い米国でも
感染症対策では金をケチらない

 ここで強調したいのは、やはり、平時の対応と緊急時の対応は区別されるべき問題であるということだ。

 社会保障の「本来の意味」を考えてみてほしい。

 社会保障とは、病気になったりけがをしたといった個人の「事故」つまり緊急時、あるいは今回のような社会の緊急時に対しての「備え」をするべきものである。

 今回のコロナウイルス騒動が明らかにしたように、生活習慣病対策を自己責任とみなす人が多い米国でも、今回のような感染症対策には「何兆ドル支出してもやむを得ない」と判断する。

 その理由は明白で、そこで中途半端に金銭面でケチれば、あらゆる感染症対策そのものが中途半端なものになってしまうからだ。