いかがでしたでしょうか?
この《松林図屏風》を「西洋のルネサンス絵画」と比較しながら見ていきたいと思います。
比較対象となるのは、ルネサンス後期(17世紀)のイタリアで、クロード・ロランが描いた風景画です。

View of La Crescenza MET DT1579

自然の風景が描かれた2つの絵を見比べてみて、気がつくことはありますか?

ロランの作品には、ローマ郊外にいまも実在する景色が描かれています。この場所にはどんな種類の木々や草が生えているのか、遠くにはなにがあるのか、太陽はどの位置にあり何時ごろなのか、どんな天気なのか、どんな地形なのか……見事に描かれたこの風景画からは、その気になればさまざまな情報を正確に読み取ることができます。

他方、《松林図屏風》はというと、どうでしょう?

描かれているのは松の木々だけで、画面の約半分はほとんどなにも描かれていない「空白」です。この絵は白黒なので、木々の色も、空の色もわかりません。

そのため、この場所が山奥なのか庭園なのかもわかりませんし、晴れているのか雪が降っているのか、朝なのか夕暮れなのかをつかむための手がかりすらも、絵のなかにはまったく示されていないのです。

もしもルネサンス画家のロランが、白黒で空白ばかりのこの屏風絵を見ようものなら、「なぜ最後まで描き込まないのだ!?」と呆れ返ったのではないでしょうか。

このように《松林図屏風》と、ロランの風景画の違いは一目瞭然です。しかしなぜ《松林図屏風》は、このように空白ばかりで、情報量が少ないのでしょう?

西洋に比べて、日本の絵画が遅れていたからでしょうか? いえ、そんなことはないはずです。

朝顔を摘み取ることで、そこに生まれたもの

これについて考えるために、少し話がそれるようですが、《松林図屏風》が描かれたのと同じ安土桃山時代に活躍した茶人・千利休(1522~1591)にまつわるエピソードを紹介しましょう。

利休の庭には、朝顔が見事に咲き誇っていました。あるとき、その評判を当時の天下人である豊臣秀吉が聞きつけ、「見せてもらおうではないか」ということになりました。わざわざ殿が見に来るとなれば、花に水をやって手入れをしたり、庭の雑草を抜いたりして万全に備えるのがふつうでしょう。

しかし、利休がしたことは正反対でした。利休は当日の朝、なんと庭の朝顔の花をすべて摘み取ってしまったのです。
庭を訪れた秀吉は「いったいどういうことだ?」と状況が飲み込めません。
不思議に思ったまま茶室に入ると、そこには、「一輪の朝顔」が生けられていました。

このエピソードをあなたならどのように解釈しますか?