一方、私がリクルートで習った「使う」「使われる」とは、何かをやりたい人がそれを遂行するために必要な知識やスキルを持つ人を「使う」、その条件にぴったりはまる人が「使われる」ということだった。

 逆に言うと、知識やスキルを持った人は、その知識やスキルを欲する人の中から、最も適する人に“使わせてあげる”ということでもある。よって、優秀な人は売り手市場を構成することができた。また、この場合、組織の上下関係にはあまりとらわれないというのも特徴であった。

 使われる側は何かをやりたい人の意思や目的に共感し、その人のシナリオを聞き、その中での自分の役割を認識する。さらに、その役割を全体のシナリオの中でよりよく行うためのアイデアを出し、実際にその役割をたくみに遂行し、それによって依頼者の野望実現にも貢献する。このスキルや知識の中には、「偉そうな肩書」もあれば、「ちょっとした話芸」、「出身高校や、やっていた部活が同じ」みたいなものまである。

 こうした思考行動様式はどちらかというと、起業家のそれではなく、専門技術者や俳優に近い。用意されたシナリオの役割に“はまりに行く”ユーティリティープレーヤーである。ゆえに、リクルートの OB・OGには大組織を作り上げる大型の起業家が、実はそれほど多くはない。専門技術者として独立して比較的小規模な会社を運営したり(弊社も及ばずながら、その一つであろう)、1人でビジネスを営んだりする者、あるいはベンチャー経営者の片腕として組織の中での重要な役割を果たす者が多い。そして、そういった役割の仕事についた人の成功率はおそらくかなり高いだろう。

「使われる」ということの積極的な価値を在籍中に教わり、退社後に自分で定めた専門領域において上手に「使われる」べく、専門技能を得ようと努力する。いわゆる起業家とは違うマインドセットである。

 ともあれ、会社員の場合は、たくさんの人を使ってお金をもらうのだが、独立すると、自分よりも年下だろうが、経験が浅かろうが、思想信条が異なろうが、人に「使われる」ということができないとビタ一文も稼ぐことができない。「使ってやる」とお声がかからなければ、おまんまの食い上げである。この価値観の転換は、慣れていない人には思ったよりも難しいようだ。