それに対し、20世紀のアートでは「探究の根」のほうにも目が向けられます。ここまで見てきたマティス、ピカソ、カンディンスキーらは、「表現の花」を生み出す過程で育まれる「探究の根」にこそアートの核心があると考えたのです。

しかし、彼らは同時に、作品である「表現の花」にも重きを置いていました。自分たちの探究の過程は、あくまでも「視覚で愛でることができる表現」に落とし込まれるべきだという前提がそこにはあったのです。

デュシャンが目をつけたのは、まさにそこでした。

事実、《泉》からは「視覚で愛でられる要素」がことごとく排除されています。元が便器である以上、美しいとはいいがたいですし、見るのも触るのもイヤだという人もいるでしょう。

つまり、《泉》とは「表現の花」を極限まで縮小し、反対に「探究の根」を極大化した作品にほかならないのです。デュシャンはこの作品によって、アートを「視覚」の領域から「思考」の領域へと、完全に移行させたといってもいいでしょう。

かくして、マティス、ピカソ、カンディンスキーらが推し進めてきた「表現の花」から「探究の根」への移行は、デュシャンがとうとう「最後のダメ押し」をする結果となったわけです。

これを踏まえて、ぜひもう一度、今度は《泉》を「目」ではなく「頭」で鑑賞してみてください。目だけを使って「アウトプット鑑賞」したときには多くを語らなかったこの作品も、頭で鑑賞してみると、私たちの「思考」を大いに触発するような問いを投げかけていることに気がつくのではないでしょうか?

デュシャンは「彼なりのものの見方」を通して、アートのあらゆる常識を疑ってかかりました。なかでも大きくひっかかっていたのが、「アートは美を追求するべきものなのか……?」という疑問だったのでしょう。

デュシャンは、自分のなかに湧き上がったこの疑問を放置せず、「探究の根」を伸ばしました。

その結果、《泉》という「表現の花」を咲かせ、「目」ではなく「頭」で鑑賞するアートという「自分なりの答え」を生み出したのです。

すでにお伝えしたとおり、20世紀のアートの歴史は、それまでの「あたりまえ」からの解放の歴史です。

マティスは「目に映るとおりに描くこと」、ピカソは「遠近法によるリアルさの表現」、カンディンスキーは「具象物を描くこと」といった「常識」からアートを解き放ち、「自分なりの答え」を生み出してきました。

そして、デュシャンは《泉》によって、それまで誰も疑うことがなかった「アート作品=目で見て美しいもの」というあまりにも根本的な常識を打ち破り、アートを「思考」の領域に移したのです。