バーの経営体制から店内の音楽まで
街の文化も変化

 著者が初めてこの地を訪れたのは2002年。当時も、韓国人観光客は日本人よりもはるかに多かった。その理由は、近くのクラーク国際空港に韓国からの直行便があるからだ(当時、日本からはなかった)。18年にフィリピンを訪れる日本人がようやく60万人を超えたのだが、韓国人訪問者はその2年前の16年の時点で100万人を超えており、その差は2倍ほどになる。02年当時から、韓国人男性にネグレクトされた「コピノ」が社会問題になっていた。

ドゥテルテ政権で浄化?韓流化が進むフィリピン最大の歓楽街の未来巨大ショッピングモールSMクラーク

 この街で韓流がいったいどのくらい進んでいるのか。確実な情報は把握しづらいが、20年以上前、日本に住んでいたことがあり、現在はクラークでバーのチーママをしているリサさんはこう語る。

「クラークでは、おおよそ半分のバーで韓国人が経営に関わっており、約3分の1のバーは韓国資本、あるいは韓国人経営と聞いていますよ。近年、取り締まり強化の度にフィリピン人オーナーが撤退し、彼らに代わり韓国人オーナーが増えていきました。コリアンタウン状態ですよね」(リサさん)

 変わったのは経営者だけでない。元々クラークを訪れる客は、アメリカ人のほか、ドイツ人やイギリス人などの西ヨーロッパが中心だったので、流れる曲はウェスタン、ユーロビート、英語の音楽が主流だった。しかしこれが、K-POPに変わった。

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 また、クラークは酒と音楽を楽しむ文化だったので、ショーで客を楽しませる風土が根付いていたのが韓流化ですっかり変わった、と語るのは前出のS氏だ。

「韓国は、アンヘレスに風俗店スタイルでも持ち込んできたんじゃないかと思う。店内で音楽を楽しんだり、ゆっくり飲めたものではない」(S氏)

 韓流スタイルが入ってくることにより、ステージショーや接客などは簡素化された。現在では、韓流が主流になりつつある。だが、もしかすると働く女性にとっては、韓流のほうが楽なのかもしれない。