だが、新型コロナウイルスの蔓延を防ぐために「3密」を避けることは、この信頼できる人の輪を壊すことになりかねない。

 実際、家族が感染すれば直ちに隔離されて触れることもできなくなるし、死期の迫った親族や親友に会うこともかなわない。食事を囲む人数は制限されるし、乳児や幼児を抱いてみんなで育てることも難しくなった。

 冠婚葬祭や学校、スポーツ、コンサートにみんなが集うこともできず、人々が触れ合って喜怒哀楽を共にする機会が失われた。

 これまで艱難辛苦を乗り越えるために人々が触れ合い、肩をたたいて励まし合い、共に汗を流して生き抜いてきた社会性と作法が無効とされつつあるのだ。

 こんな状態が続いたら、人々の体も心も冷え切り、共同の暮らしを作ろうとする熱意が失われてしまう。

「人々の輪(和)」をいかに維持するか
音楽や食事でコミュニケーション

 そうならないために、あらゆる手段を使って「人々の輪(和)」を維持する必要がある。

 それにはまず、私たちが手にした情報通信機器を言葉以外のメッセージを入れて使うことだ。 

 実は言葉の前に発達したと思われるのが音楽というコミュニケーションだ。人類が700万年前に始めた直立二足歩行は言葉の発声に適した喉の構造だけでなく、音楽に適した身体をもたらした。リズムに同調して踊る身体能力である。

 そもそも音楽を作るのに道具はいらない。声を使えばいいし、ゴリラのように胸をたたいてもいい。チンパンジーのように木の幹をたたき、足を踏み鳴らしてもいい。

 それだけで周囲の注目を集め、同調を誘う。おそらく初期の人類はそうやって音楽と踊りを作っていたのではないだろうか。

 現代の狩猟採集民たちも、音声と打楽器だけで踊ることがある。私がゴリラの調査をしているコンゴ民主共和国では、ピグミーと呼ばれる狩猟採集民がポリフォニーという合唱をして踊る。

 ひとり一音を出し、みんなで自由に発声し合ってメロディーを作るのだ。音楽が湧き上がり、波打って流れていく。人々が音の世界で溶け合う瞬間を見ているような気がしたものだ。

 音楽は人々を集めるが、接触を介さなくても同調を誘うことができる。最近、その音楽の効用に気づいたミュージシャンたちが、インターネットを用いて自ら曲を流し始めた。

 その映像に同調して他のミュージシャンたちが参加する。新しいコラボが生まれたり、思わぬ展開があったりする。そこに膨大な数の視聴者が参加し、投げ銭やクラウドファンディングによって歓迎しようとする動きも出始めている。

 人々の心がささくれ立つこの時代、音楽を多用して人々の心を高揚させることはとても重要だと思う。