人口の7割がビルマ族というミャンマーで、少数民族は政府の集計だけで130以上もある。スー・チー氏が連邦制度の維持を目指し、父親の威光を政治に利用すればするほど、逆に彼らの反発を招くという皮肉な結果が続いている。

山間部の州では
スー・チー氏の惨敗か

 次に、少数民族武装勢力との停戦交渉の不調がある。

 全国を小選挙区制で争うミャンマーの総選挙は、ビルマ族が多い平野部ではNLDの圧勝が今回も予想される。しかし、少数民族が暮らす山間部では、彼らが多数派に転じる選挙区が4割もあり、ここに「スー・チー惨敗」のシナリオが潜む。

 少数民族政党の中にはこの5年間のNLD政権に失望し、他党との連立を模索する政党も出始めている。カイン州を束ねるカレン国民民主党はNLDに見切りを付け、国軍政党との連立も選択肢に加えるようにした。

 カレン族はかつて、独立を求め国軍と戦った歴史を持つ。州全域が戦場となったこともあり、米アクション映画「ランボー 最後の戦場」の舞台と言えば分かりやすいだろう。政権側への衝撃は計り知れない。

 同様に、民族自決や連邦制の確立を訴える少数民族政党は、北部や東北部、南部、西部などの辺境に広く点在する。選挙戦が進むにつれ、これら少数民族政党間で州を越えた選挙協力が進んでいくと予想されている。

 もちろん、スー・チー政権にも少数民族対策がなかったわけではない。政権発足後間もなく立ち上げられた「21世紀パンロン会議」がそれだ。武力衝突を続けてきた少数民族武装勢力との和平に向けた会議で、政権の目玉になるはずだった。

 パンロンとは、シャン州にある町パンロンのこと。1947年2月、英国との独立協議を進めていたアウン・サン将軍は、独立のためには少数民族の協力が欠かせないと、当地に代表者らを集め開いたのが「パンロン会議」だった。

 将軍は各州には自治権を与えることを約束し、さらには一部州には将来の連邦離脱権も付与して結束を図った。しかし、独立時に自治権を認められたのは、カヤー州やカチン州など一部だけ。後に離脱権が剥奪されたシャン州では、武力闘争の原因ともなった。

 父親の功績にあやかろうと会議の名を等しくして少数民族問題に向き合おうとしたスー・チー氏だったが、構想は早くも頓挫する。15年に始まった少数民族との停戦協議は自治権の範囲などをめぐって膠着状態に陥り、18年までに同意に至ったのはわずか10勢力のみ。

 カチン州やシャン州、ラカイン州などの国境近くには有力な少数民族武装組織が今なお勢力を保っており、その数は少なくとも7団体はあるとされる。全面的な停戦のめどは立っていない。