How To:サステナビリティを意識し、価値労働へシフトする
かの有名な「お客様は神様」というフレーズは、演歌歌手の三波春夫氏が自らのパフォーマンスを高めるための心がけとして用いたものといわれます。歌う時には「神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な芸をお見せすることはできない」と考えていたからこそ、聴衆たるお客様を神様に見立てて歌ったところから来ています。
つまり、このフレーズの意味するところは、あくまで提供者の心構えの問題であり、顧客側からの視点ではなかったわけです。それが曲解され(もしくは、都合よく解釈されて)、顧客の側が神様を自称するようになってしまったわけです。
この顛末はさておき、私が常日頃から思っているのは、顧客(発注側)と受注側は本来、対等な関係のはずだ、ということです。
海外で仕事をした際に見聞きした経験でもあるのですが、向こうでは契約書こそが正義であり、記載されていないような無理難題を顧客が吹っかけてきたら、受注側がその場ではねのけてしまうといったことは、普通に起きます。
IBMのメンバーとして、イギリス最大のエネルギー企業であるブリティッシュ・ペトロリアムとの商談に同席したときのことです。ブリティッシュ・ペトロリアムの求めに対して、英国IBMも「それは契約外だ。できる範囲にはない」などとはっきり主張をするので、時に激しい言い合いになりました。しかし、ブリティッシュ・ペトロリアムは、受注側であるIBMが厳しい言葉を使っても、それ自体には立腹する様子もない。彼らの根底には「相手が主張をするのは当たり前」「価値があるものに対価を払う」という思想がありました。
ところが日本の場合、その根柢となる思想がなく、「客のほうが上位である」という関係性が前提となってしまう。料金面を含めて、無理難題に応えることも一種の美徳のように扱われていました。これが結果的に受注者側を疲弊させ、モチベーションを奪い、顧客に対するロイヤリティ低下の原因になっています。
そもそも、なぜ顧客は受注側から「安く買おう」とするのでしょうか。
背景には、日本で長く力をもってきた製造業の考えがあるのではないかと思います。製造業のようにコスト(原価)を重視する世界は、原料を安く仕入れ、加工して高く売ることが、収益性を上げるポイントです。
一方、現在のビジネスの多くはサービス業にあたります。サービス業では、わずかでも高く値付けされたほうがサービスの提供者はやる気を出しますし、その分だけ価値も高くなるはずなのです。
こうした違いを理解しないままに値下げを要求しても、いたずらにやる気を削いでしまうだけです。
良好で対等な関係こそがサービス業において重要なのに、安く仕入れるために買い叩いたり、「お客様は神様」のような偏った上下関係を優先しようとしたりするから、種々のプロジェクトがうまくいかないのです。相手が買い叩こうとするならば、どこかで「安かろう・悪かろう」にしなければ割が合わない。そのサイクルはサービス全般の品質低下につながり、結果的に社会を停滞させてしまうことになります。
考えるべきは、顧客と受注者が「共通の目的」を持つことであり、サステナビリティ(持続可能性)です。サービスの品質を衰えさせないためにも、継続して相手を評価し、その対価をしっかりと払う。両者が良好かつ対等な関係を結ぶことが、サービス業からの価値を受け続ける意味ではポイントになります。
では、顧客と受注者は今後どうすれば「共通の目的」を持ち、サステナビリティを実現していけるのか。
ポイントになるのが、「著者からのメッセージ」でも挙げた「価値労働」へのシフトです。まず変わるべきは顧客であり、「プロに対する敬意」を前提に、目先の値段に振り回されるのではなく、もっと本質的な「価値に対価を払う意識」で受注者と向き合うことです。
さらに受注者も、顧客が言うことにそのまま合わせず、「なぜなのか」をしっかりと問い返す。言われるがまま機械的に行動するのではなく、「Why」と「Because」を繰り返しながら、自分の頭で考えて答えを導いていく。
実際に、そうした変化の結果ともいえるのでないか、という社会的事例も出てきています。たとえば、2020年5月から7月現在まで、インターネット広告大手のサイバーエージェントが、電通グループを時価総額で上回っています。2020年の東京五輪開催が見送られたことなど、要因はさまざまあるとは思えますが、この2社のビジネスへの向き合い方を鑑みてみると、私には納得できる面もありました。電通は、まさに旧い会社らしく顧客からの無理難題の対応力で伸びてきた会社です。一方、サイバーエージェントは価値にフォーカスしやすいネット広告、そしてソーシャルゲームなどのサービス業を伸長させ、IT市場で価値を発揮してきました。
特別な権力関係を維持し続けることに苦心してきた電通と、顧客や社会に対して価値を提供することの対価を得てきたサイバーエージェント、と言い換えることもできるでしょう。
さらに、2020年5月に、日本の全上場企業における時価総額で、キーエンスが2位を記録したのも象徴的な出来事です。キーエンスの魅力は50%を超える高い営業利益率にあるともいわれます。それを支えるのは合理的な社風と、まさに顧客に認められ続ける商品の「価値」にあります。
顧客と受注側が、一緒に「価値」を作り出すような、良好で対等な関係を築き上げていく。そのためにも価値労働にお互いにフォーカスをしていく。いま好調な企業を見ても、この流れはいっそう日本に求められているのではないかと感じます。
著者からのメッセージ:コロナショックがもたらした本当の「働き方改革」を止めないために
「ハンコを押すためだけに出社とか、絶対におかしいよ……」と思った、あなたへ。
今日から私たちの手で、日本の働き方を変えていきましょう。
あれは2016年の頃からでした。ついに、「働き方改革」という名の大号令が下り、ビジネスパーソンが人生の多くの時間を費やす「仕事」や「職場」の見直しが図られていくことになりました。号令は各企業の取り組みや関連法案の改正などを引き出し、多くの日本企業を変えていく……はずでした。
たしかに、ゆっくりとではありますが、「働き方改革」で変わったこともあります。しかし、私には「改革」の2文字が、どこか虚しく響いているだけのようにも思えていました。
もっとできる。まだまだ改善できることはある。
そんな思いを胸にしながら仕事を続けるなかで、はっきりと、大きく情勢が変わったのは2020年初頭。世界中を巻き込む新型コロナウィルス感染症の大流行です。緊急事態宣言のもと、あらゆる企業が社員の出社を見合わせ、自宅待機とテレワークで仕事を進めざるを得ませんでした。この自粛期間が、これまでゆっくりとしか変わってこなかった日本企業の働き方を大転換させるきっかけとなったのです。「来たるべき未来が早回しで実現した」と表現した人もいたくらいに。
具体的には何が起きているのか。私が「日本経済新聞」で目にしたニュースを、いくつかあげてみましょう。
◇日立製作所は3万3000人の社員の約7割を在宅勤務前提に
◇NTTグループ280社の間接部門は、在宅勤務5割を標準に
◇サントリーHDは電子決裁などペーパーレス化を推進
◇ドワンゴは全社員1000人がコロナ後も原則在宅勤務に
◇リコーやベネッセコーポレーションでは、在宅勤務でも残業代を支払いへ
◇カルビーは成果主義の報酬体系を活用して、在宅での多様な働き方を実現。業務に支障がなければ単身赴任も解除
◇KDDIは約1万3000人の正社員に、職務内容を明確にして成果で処遇する「ジョブ型雇用」を導入。一律初任給も廃止
このように、日本を代表する大企業が続々と改革案を発表していきました。ついに「本当の働き方改革」が実現されたのだと、私は感じました。
しかし、こうした企業の現場に思いを馳せれば、誰も予想できなかった事態に急に対応したわけですから、社員からは嘆きの声が聞こえてきそうなものです。ところが、実際のところはどうでしょうか。いまだ新型コロナウィルスの脅威が去っていないこともありますが、多くの人が、この働き方の変化を「悪くないもの」として受け止めているようなのです。さらにいえば、若い社員からは歓迎の声すら聞こえてきます。
私自身も、テレワークで出勤から解放され、Zoomなどのツールで効率的にビデオ会議をこなす働き方の快適さに、あっという間に親しんでしまいました。むしろ、電車でわざわざ都心のオフィスまで移動し、各地にあるクライアントを訪問していた以前の生活を思い出せないくらいです。公言はしないまでも、同じ感覚を持っている方は多いのではないでしょうか。
なぜ、私たちは急激な変化をスムーズに受け入れることができたのでしょうか?
危機が起きた際の日本人の特性と考えることもできるかもしれませんが、私としては、より本質的な理由があると確信しています。それは、すでに何年も前から、日本企業の働き方には無理がきていた、というものです。
ここ数年、私は書籍の執筆のために、日本企業の「当たり前」に関心をもっていました(著作を含む私の経歴は「おわりに」にまとめましたので、ご参照ください)。すると、多くの企業で、昔からの「当たり前」が実態とズレてきているにもかかわらず、価値観の修正がなされずに現場が苦しんでいるケースがあると気づきました。また、ITに親しんだ私にとっては明らかに合理的で「当たり前」だと思うことが、クライアントには非常識だと思われてしまい、驚くこともありました。
そうした組織の矛盾や制度の経年劣化が、コロナショックにより可視化され、変化を迫られました。まさに、「働き方」の前提となる価値観を含めた「当たり前」が変わったわけです。
では、なぜ、どのように、日本企業の働き方には無理がきていたのか。私なりに考えれば、それは、インターネットの浸透と産業の変化に、日本社会が対応できていなかったということに尽きます。これだけITが進歩し、また職業や職種が多様化したにもかかわらず、日本社会は依然として20世紀と同じ製造業を主流とする働き方を前提にやってきていたのです。
より具体的に整理をすれば、コロナショックで明らかになった「働き方」の変化は、次の3つに集約されるように思います。
1.依存集中から自律分散へ
中央集権的なシステムや大企業がもたなくなり、個人やスタートアップの存在感が増す。
2.時間労働から価値労働へ
個人の労働が、費やした「時間」ではなく、生み出した「価値」で評価されるようになる。
3.アナログからデジタルの価値観へ
1.2.の前提である「デジタル化」が、人々の価値観にも影響を与えている。
いま皆さんの周囲で起きている「働き方」の変化も、こうした流れの中でのもの、と捉えることができれば、受け止めやすいのではないでしょうか。
コロナショックでは、以前から個人の内部や現場で蓄積されてきた3つの変化へのエネルギーが、一気に噴出することになったわけです。
しかし、変化が本質的なものであるがゆえに、職場では衝突や軋轢も生まれているようです。コロナショックが落ち着いたら、先ほどあげたような大企業でも、その取引先である多数の会社でも、昔の働き方に戻そうとする力が働くでしょう。しかし、それは明らかに社会の生産性を下げる、老害的なノスタルジーに過ぎません。私たちは個人の幸福のためにも、日本経済の復活のためにも、そうした「反動」を明確に否定しなければならないのです。
『どうして僕たちは、あんな働き方をしていたんだろう?』は、その戦いで、私と志を同じくする人を応援するために書いたものです。先ほどの3つの変化を元に、過去の「働き方」をBefore/Afterのストーリー形式で振り返り、実際にどうすれば古い働き方を変えられるかというHow Toのアドバイスをしていきます。
これを機に新しい「働き方」を職場に定着させようと奮闘している人、変化についていくことに大変さを感じている人、そして組織を変えようとするリーダーや経営層の人に、必ず参考にしていただけるものとなったはずです。ぜひ、明日からの仕事に役立てていただければ幸いです。