日本政府による釣魚島(日本名は尖閣諸島)の国有化が宣言された9月11日から、満州事変の記念日である9月18日までの1週間に、中国各地で「保釣(釣魚島を守る)」のための抗議デモが発生した。私は日中間に起きたそういう摩擦を「政治型地震」と呼ぶ。この1週間はまさにこのような「政治型地震」が集中的に発生した期間となった。
予想を遥かに上回る激しさ
13日一日を除いて、私は抗議デモの発生現場でこの激震が続く1週間を送り、いろいろなことを体験した。
まず、土曜日の15日に中国各地で起きた抗議デモの激しさに驚いた。常軌を逸してしまうのではないかとある程度予想し、その覚悟もできていると思っていたが、抗議デモの激しさもその規模も、私の予想を遙かに上回ったことに大きなショックを覚えた。ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNSS)の新浪微博からは、日系車が焼かれ、日系のスーパー、コンビニをはじめ日本関連の企業が襲撃された情報が続々と届いてきた。衝撃的な映像や写真が微博にアップされるたびに、私は激しい心の動揺に苦しんだ。
抗議したいことに対してはきちんと抗議してほしい。しかし、他人の財産も法律も社会の常識も守らなければならない。いても立ってもいられなくなった私は、新浪微博を通して法の順守を呼び掛けるしかなかった。5万以上のフォロワーを持つ私の呼びかけには、それなりの手ごたえがあるはずなのに、その常軌を逸してしまった一部の抗議活動の規模と比べて、その影響力は微々たるものだった。
自分の無力を嘆きながら、思わず「杯水車薪」という中国のことわざを思い出した。乾燥しきった薪を満載した車が燃え出しているところに、コップ一杯ほどの水を掛けてもあまり役に立たなかった、ということだ。
その日の夜、上海の日系銀行に勤める中国人職員と会い、その職員の上司である日本人の上司が地下鉄の中で日本語を使って携帯電話に出たところで殴られたといったことを知り、不安が膨らんだ。未明の4時頃まで各地の情報収集に追われていた。