インターネットの「知の巨人」、読書猿さん。その圧倒的な知識、教養、ユニークな語り口はネットで評判となり、多くのファンを獲得。新刊の『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』には東京大学教授の柳川範之氏「著者の知識が圧倒的」独立研究者の山口周氏「この本、とても面白いです」と推薦文を寄せるなど、早くも話題になっています。
この連載では、本書の内容を元にしながら「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に著者が回答します。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。(イラスト:塩川いづみ)
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら

9割の人が知らない「受験は突破したけど自分で考える力がない」人のための2冊Photo: Adobe Stock

[質問]
知識を身につけるとはどういったことなのでしょう。

 読書猿さまこんばんは。

 最近漠然と思うのですが、知識を身につけるとはどういったことなのでしょう。受験における知識というものは、英語であれば単語を覚える、文法を理解して覚える、日本史なら一問一答を解きつつ教科書を読みつつ、という感じでした。しかし、大学生となった今、知識をつけるとは言ってもその量は膨大であることに気がつきました。受験のようにいちいち問題を解いたり(そもそも問題がない場合が多い)するのでは時間があっても足りません。

 このことからどうやら知識とは今まで暗記で賄ってたものではなく、暗記するようなものではなさそうだ、と感じてきました。

 ということはつまり、なにかの知識を得ようとした際には抽象的に物事を捉えることが必要なのではないかと思いました。抽象的なものが集まって具体化し、その具体化したものが知識ということなのでしょうか。

受験勉強の学習観から脱皮したのは喜ぶべきこと

[読書猿の解答]
 高校までは、インプット面で学校で学ぶ内容・範囲に制度的な制約をかけられているのと、アウトプット面で制限時間有り・持ち込み不可の試験に最適化するところから、暗記と問題演習中心の学習観が繁殖しがちであり、それに対応した知識観(知識は暗記するもの、知識は誰かが用意してくれるもの・自分はそれを習得するだけ等)を抱きがちです。受験勉強の成功体験から、大学では不適応になるこうした学習観・知識観を持ち続ける人も少なくない中、自ら気づき変わろうとしておられることをまずはお喜び申し上げます。

 大学は新しい知識を生み出す場所なので、暗記・問題演習型学習観やインプット専業知識観のままだと、早晩行き詰まります(少なくともそれらが生きる場面は限定されます)。その中で「知識とは自分が今まで思っていたようなものじゃないのでは?」と気づいたら好機です。

 お勧めしたいのは「知識とは何か?」という抽象的な問いを考える一方で、具体的な問題・課題について自分で知的営為をやってみることです。『独学大全』では、自分が知りたいことについて調べて書いてみる「リサーチログ」という技法を紹介していますが、これは、下記の調べものの骨法にもとづいたものです。

<調べものの骨法>
(1)知っていることをすべて書き出す
(2)知らないことを問いに変換する
(3)調査の過程を記録に取る
(4)しつこく繰り返す

 こうして抽象的な思考とモノ(出来事やデータを含みます)にまみれて行う手業を往復することで、自分なりの知識観を織り上げていくこと。大学はそのための場所であり、知識観を構築する経験は一生モノの財産になるはずです。

 参考文献として、
知識とは何かを考える手始めに『TOK(知の理論)を解読する』を。
具体的な知的営為をやる最初の手引きに『問いをつくるスパイラル』を。