このときのいわゆる「銀行印」は、シャチハタなどがダメなことからもわかるように、単なる「サイン」のような意味合いではない。大きな額の取引をする際に、本人であることを確認することも目的としている。だから、届出をしたときの「銀行印」と捺印したものに少しでも誤差があれば認められない。承認ではなく、完全に「身分証明」としての用途を期待されているわけだ。

 財産を管理するための「身分証明」ということなので、当然、財産に影響を及ぼすような高い買い物をする場合も、このようなハンコが必要となる。だから、住宅ローンを組むのにも、賃貸を借りるのにも、そして自動車を購入するのにも、「実印」の捺印と印鑑証明の提出が求められるのだ。

 公共料金のようなものを引き落とす手続きをするには、印鑑が必要になる場合も多い。アルバイトで採用される際にも、いまだに印鑑の持参を求めるところはたくさんある。

組織からハンコを追い出しても
社会ではハンコがないと生きられない

 つまり、どんなに役所や企業の中からハンコを追い出したところで、組織から一歩外に飛び出して個人に戻れば、「ハンコID」がないことには経済活動もままならないというのが、日本社会の現実なのだ。

 この大きな矛盾を解消しない限り、日本社会の効率など良くなるわけがない。つまり、我々が本当に問題視しなくてはいけないのはハンコ文化ではなく、「実印」「銀行印」に象徴される「ハンコによる身分証明」という慣習なのだ。

 これは、ハンコ文化のある他国を見ても明らかだろう。ご存知のように、ハンコ文化というのは東アジア地域に限定されたもので、日本以外は中国、韓国、台湾に定着している。が、これらの国のハンコは、「社会の効率が悪いのはハンコ文化のせいだ」など目の敵にされていない。

 ハンコ文化の源流である中国では、政府や企業が発行する書類に社印のようなものを押す慣習があるが、個人で印鑑を使うようなシーンはない。銀行口座を開設するときなども、身分証明書の提示とサインだけなので、印鑑は日本でいうところの「木彫りの熊」のような鑑賞用とされている。