真剣に取り合うには不向き
芸能記事と政治記事は同じ
大新聞の政治記事は、芸能ニュースのように作られているので、読み手の側でも、そのような読み方(内容をアテにせず、話半分の積もりで、楽しみのために読む)が要求される。
政治部の記者が政治家に張り付いて、ああ言った、こう言ったと書き、「……のような間柄なので、誰々には親近感を持っている」などと政治家の胸中まで、事実と推測を厳密に区別することなく書く。
その種の密着記事以外は、官製の発表情報だ。芸能記者が芸能人の言動をあれこれ書き、あとは芸能事務所が発表したい情報を流す、芸能記事の作りと構造は一緒だ。
記者は、情報を取ることができなければ仕事がしにくくなるから、機嫌を損ねないようにして取材対象に「寄り添って」仕事をし、やがては取材対象との人間関係を誇るようになる。
多少の違いは、将来の実力首相のような幸運な取材対象と親しい仲になった政治記者が、新聞社の社内で驚くほど偉くなることぐらいだが、これは読者には関係ない。
読者は、どこまでが事実なのかよくわからないが、「とりあえず、これが本当なのだろう」と推定しながら、あれこれと考えるしかない。真剣に取り合うには、不向きな対象だ。とはいえ、それなりに面白いことがあるので、全て無視するのはもったいない。
本稿を筆者が書いているのは9月25日で、9月25日の朝刊各紙には、民主党の党役員人事のニュースが載っている。そして、拙稿がダイヤモンド・オンラインに掲載されるのは9月26日だ。26日は、「実質的に次の首相を決める戦い」として注目される自民党総裁選の日だ。国民は、民主党の党役員人事のことなど、場合によっては、それがあったこと自体まで忘れてしまうだろう。