『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』が10万部を突破! 本書には東京大学教授の柳川範之氏が「著者の知識が圧倒的」、独立研究者の山口周氏も「この本、とても面白いです」と推薦文を寄せ、ビジネスマンから大学生まで多くの人がSNSで勉強法を公開するなど、話題になっています。
この連載では、著者の読書猿さんが「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に回答。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。(イラスト:塩川いづみ)
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら
[質問]
「どうしようもない人」が何故生まれるのか、そういう事を知れる本はありますか?
この「どうしようもない人」というのはあくまで私の主観でしかないのですが、自らの感情のまま、罪の意識を抱く事無く(少なくとも私にはそう見える)、他者を平気で傷付けるような人のことです。
私は私自身が直接関わりが無かったとしても、こういう人をリアルやネットで嫌でも目にしてしまうのが辛いです。間接的にでも触れることで、その人や出来事に対して負の感情が湧いて出るのが辛いです。
その辛さを和らげるために、「どうしようもない人」を正当化(?)してくれる本があれば知りたいです。言葉選びや文が稚拙で申し訳ないのですが、ご回答いただけると幸いです。
どうしようもない行動は、短期的には利益がある
[読書猿の回答]
まずヒトには、本質主義的バイアスとでもいうべき傾向があります。つまり、「表面に現れる現象や行動の奥底にはその元になった本質がある」と考えがちだということです。我々が目撃できるのはいつも「どうしようもない行動」だけなのですが、本質主義的バイアスが働いて「どうしようもない人がいる!」と思ってしまうのです。
次に、どうしようもない行動は、そうでない行動と同様に、それによって良いものが獲得できたり、悪いものを回避できたという経験によって習得され、持続します。
例えば、不都合に直面した場合に、自分で解決策を考え実行する代わりに、周囲の人に当たり散らす行動は、そうすることで不都合が解消することで習得され、繰り返されます。
例えば、家庭の中で当たり散らす→家族がいたたまれなくなって不都合をなんとかしてやる(悪いものを回避できた)→今後も不都合があると当たり散らすようになる、といったことが繰り返されています。
また家族の方も、その人が当たり散らしていたたまれなくなる→不都合をなんとかしてやる→当たり散らしが止む(悪いものを回避できた)、ことで、不都合をなんとかしてやる行動が繰り返される訳です。
時折コンビニなどで目撃される「高齢の男性が店員さんに当たり散らしている行動」や、ネットで繰り返される「有名人に誹謗中傷を浴びせかけている行動」は、そういうプロセスで強化されてきたのではと想像する次第です。
実は我々が道徳的であると考える行動も、そのように行動することが褒められたり、外れた行動することで叱られたりすることで習得され、繰り返されるようになります。なので、道徳的によいことである(すべきことである)と頭で思っていても、仲間に冷やかされたりすると、次第に行動されなくなります。
まとめると、良い行動も悪い行動も、どちらも行動の結果によって習得され持続するもの、学習されるものです。「どうしようもない行動」をする人は、それで良い結果が得られたり、悪い結果を回避できたりした経験を持っています。
ある行動を持続させるのは、行動の後にすぐに生じる即時的なもので、長期的なリターンではありません。このことが問題をもたらします。例えば先に見た「当たり散らし」という行動は、家族というローカルな場面の中では(家族の犠牲によって)不都合の解消に役立っていますが、このせいで、この人はもっとましな行動、すなわち家族を犠牲にせず、家庭外でも使える汎用的な解決のための行動を身につけることができません。これは長期的に見れば、この人の生き方を狭め、生活の質を低めています。しかし、こうした副作用の強い「どうしようもない行動」を強化する悪循環の内にあるうちは、頭では分かっても中々この行動を辞めて、別のもっとましな行動に切り替えることは難しいのです。
「どうしようもない行動」を止められない人たちは、こうした《行動の罠》とでもいうべき悪循環に陥っていると考えられます。
以上のような考え方について、参考文献としては『行動分析学入門』か『パフォーマンス・マネジメント』をおすすめします。