弁証法とは?

 さて、バカロレア式の第3案を出す発想法は、弁証法(ギリシャ語のディアレクティケー 問答法・対話的方法)のひとつです。

 ダイアローグ=対話と語源は同じです。日本ではドイツ語のディアレクティークを訳して弁証法としました。テーゼ(意見)とアンチ・テーゼ(反論)との対話・格闘からより高次のジン・テーゼ(総合意見)を出す発想法です。

 二者の意見の中和・妥協ではなく、物別れでもなく、議論を上方に引き上げようと試みます。これがアウフヘーベンです。

 aufは英語のupwardに当たる言葉で「上の方へ」という意味です。hebenは英語のholdで「つかむ」です。

 日本語では「止揚」とか「揚棄」といった訳語を当てて、アウフヘーベンを表現しています。両意見を物別れさせず、高い次元での融合を目指します。

 ところで、その総合意見へのさらなるアンチ・テーゼも出せるので、弁証法という対比的思考法にも終わりはありません。

「両極の中間」というのは、文字通りの真ん真ん中とはかぎりません。

 まず、どんな両極を想定するかにも相当なバリエーションがあり、オリジナリティが発揮されます。さらにその両極の幅の中で、どこに突破口を見つけるかにも無数のバリエーションがありえます。

 ゆえにそこにもオリジナリティが発揮されます。その都度考えたらよいわけです。ときに妥協案でも、折衷案でも、足して2で割る案でも構わず、アイディアを出してみましょう。

 理想は弁証法の止揚ですが、実効的にアイディアが出せればかまいません。

アリストテレスが提唱した「中庸」

 中間と言っても真ん真ん中とは限らないという点については、アリストテレスの「中庸」がヒントになります。

 漢字で「中庸」と書くと『礼記』に出てくる儒教思想を思い浮かべます。「不偏不倚」(不偏不党)、「過不及(過不足)のない平常の道理」などと説明されます。

 一方、アリストテレスの中庸は「mesotes メソテース」(英語のmean)で、ほどほどという意味ではなく最適さを意味します。

 例えば、無謀と臆病の中庸として勇敢という徳があります。他にも、放埒と無感覚(快楽への無感動)の中庸が節制、放漫とケチの中庸が寛厚(寛大で温厚)、傲慢と卑屈の中庸が矜持(megalopsychiaメガロプシュケイア)、虚飾と卑下の中庸が真実、道化と野暮の中庸が機知、機嫌取りと不愉快の中庸が親愛など、『ニコマコス倫理学』の中で随分とたくさんの具体例を挙げています。

 皆さんも、日常生活やビジネスや学業にて、なんらかの決定や選択の際に、あれこれの対極とともにその中間・中庸を思い浮かべ、さらにネーミングの工夫をすると知的でクリエーティブな習慣になります。

(本原稿は、『対比思考──最もシンプルで万能な頭の使い方』からの抜粋・編集したものです)